TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

ES細胞初移植ー難病乳児 肝細胞は世界初

ES細胞初移植ー難病乳児 肝細胞は世界初」
 上記の見出しの記事を読んだ。朝日新聞2020年5月21日の朝刊だ。最近は、iPS細胞を用いた研究の記事をよく目にする。ES細胞(胚性幹細胞)に関するものは久し振りだ。記憶と記録のために、新聞記事を私なりに引用しながらまとめておきたい。

 国立成育医療研究センター(東京都世田谷区)は、人のES細胞から作った肝細胞を重い肝臓病の赤ちゃんに移植する臨床試験(治験)をしたと発表した。移植は成功して容態は安定している。人の病気にES細胞が使われるのは国内で初めてとのことだ。ES細胞からつくった肝細胞の移植は世界で初めてだという。「治験」ということだから確立した医療ではない。でも様態が安定しているとのことなので、治療が成功することを祈る。生育医療センターは、国立小児病院と国立大倉病院が一つになって、1990年代に設立されたナショナルセンターの一つだ。同研究所の開所式に取材で訪問した。かつ、2007年3月14日に私の初孫が7か月半の未熟児で、同センターで誕生した。そのようなわけで上記の記事を興味深く読んだ。

 ■ES細胞とiPS細胞の違いは?■
 様々な組織に変換させられる細胞には、主にES細胞iPS細胞とがある。ES細胞は、受精して5~6日後の胚(受精卵)から一部の細胞をとりだしてつくる。不妊治療で使われなかった受精卵を利用する。人のES細胞は国内では、2003年に基礎研究用として京都大学で作られた。しかし、受精卵は「生命の萌芽」と位置付けられるので、倫理的な課題が指摘され、基礎研究に限って使われていた。一方、iPS細胞は皮膚や血液の細胞に遺伝子を導入してつくる。国内では、2007年に人のiPS細胞の作製が報告されて以降、iPS細胞を用いた再生医療に期待が寄せられている。事実、目の網膜や脊髄などで臨床応用が緒についている。
 上記のニュースは、新型コロナウイルス関連で埋め尽くされた紙面で光った朗報なので、かいつまんで記録した。

「私の糖尿病」― (5)糖尿病の薬「SGLT2阻害薬」ってなんだ

「私の糖尿病」― (5) 糖尿病の薬「SGLT2阻害薬」ってなんだ

 

 私が糖尿病の薬グリミクロンHA錠(20mg)を飲み始めてから既に15年くらいになる。グリミクロンはSU薬の一つである。要は膵臓に働きかけて「インスリンを出してくださいね」という働きをする。随分前から臨床応用されている古い薬のようだ。今回、初めて薬の注意書きを眺めてみた。次のように書かれていた。
 【薬のはたらき】インスリンの分泌を促して血糖値を下げる薬です。(私の理解のとおりである。)
 【注意事項】①コップ一杯の水またはぬるま湯でかまずに服用。②高熱がでて風のような症状がみられたら医師あるいは薬剤師にすぐに相談してください。③だるい、発熱、食欲不振、かゆみ、白目が黄色くなるなどの症状がみられた場合には直ちに医師か薬剤師に連絡してください。④強い空腹感、脱力感、発汗、手足の震えなどの症状がみられた場合、直ちに医師・薬剤師に連絡してください。
 上記の③は、肝機能障害、④は低血糖を示していると思われる。私の場合は、15年余も飲み続けているのだから効果があるのだろう。ここで考えてみた。夕方、16時時~17時過ぎに、「強い空腹感」を感じることがある。お腹が空いて、お菓子を食べたり、時にはビールを飲みたくなって夕食に先立って飲んだりしていた。もしかしたら、これは、「低血糖」のためであろうか? 糖尿病になると、食事制限との戦いとなるので、「空腹とのたたかい」という話をよく聞く。そこで、私はなるべく三度の食事以外の、「間食」をなくすようにしている。これでよいのだろうか?

 ■「SGLT2阻害薬」ってなんだ

 さて、朝日新聞(5月21日)朝刊で、<糖尿病の薬 広がる効果―「SGLT2阻害薬」合併症を予防>という見出しの記事を読んだ。松浦祐子さんという記者の記事だ。糖尿病の薬については、インクレチン関連薬(DDP-4阻害薬、GLP-1受容体作動薬)が登場した2008年頃から大きく変わってきた。私がまだ現役で、学会雑誌「糖尿病」また臨床雑誌「糖尿病診療マスター」の編集に関与していたころだ。
 SGLT2阻害薬は、心血管病変や腎障害といった合併症の予防に効果があるとのことだ。この薬は、糖尿病ではない心不全の患者の治療薬となる可能性もあり注目されているのだという。日本糖尿病・生活習慣病ヒューマンデータ学会が医師向けにつくる「糖尿病標準診療マニュアル」も4月の改訂で、薬のせんたくについて、一番目はメトホルミン、2番目はインスリンの分泌を促すとともに血糖上昇ホルモン分泌を抑える「DPP-4阻害薬」とし、その次に加える場合は、心血管病変や早期の腎障害、肥満のある患者には、SGLT2阻害薬を、ほかのタイプの薬に「優先してよい」と新たに記載したとのことだ。

 糖尿病を持つ身として、興味を惹かれたので記事の概要をまとめた。ともあれ、私の糖尿病はグリミクロンで対応していくつもりだ。最近、朝晩の血圧を測定している。拡張期の血圧(下の方)が高い(90~95)ことがある。拡張期高血圧は、腎障害のリスクのような記載をみたので気にかかる。とにかく、糖尿は治せないので一生付き合う病気のようだ。毎日の歩行とスクアットと踵落としと食事で対応していくしか方法はないようだ。今日は、糖尿病を意識するために、新聞記事から自らの生活を振り返った。

  

 

 

「私のⅭ型肝炎物語」 第1章:マヴィレット治療への挑戦― (43)マヴィレット終了後1年: まだ血小板が増えない

(43) マヴィレット終了後1年: まだ血小板が増えない

  

 新型コロナウイルス感染拡大防止のために東京都ほか全域に緊急事態宣言が発令された。このために、4月22日(水)に予約していあった東大病院(HCV内科)の受診を6月17日(水)に延期した。本日は、これも4月28日(火)から延期した東大病院(DM内科)の受診日であった。東大病院は2月4日(火)から3ヵ月半ぶりである。一昨日までの好天と変わって氷雨降る中、午前8時40分頃に家をでた。通勤時間帯を避けたので、小田急線は空いており新百合ヶ丘駅で急行に乗り換えた。乗客は20数名くらいで座って新宿まで行けた。新宿には9時30分頃に着いた。小田急線から大江戸線新宿西口駅への通路は人も疎らであった。通路側面の売店も殆ど閉店している。歩く人たちは皆マスクをつけて心なしか元気がないように見える。たった一人だけ登りのエスカレータにマスクを着けていない中年男性がいた。本郷三丁目には9時50分くらいに到着した。何時ものように東大脇の懐徳門から入ろうとしたら閉まっていた。仕方がないので正面の赤門まで迂回した。「狭き門より入れ」ではないが、赤門も閉まっていて、守衛さんのいる通用口から東大病院の診察カードを提示して入構を許された。東大病院に9時過ぎに着いた。診察カードを受付けの機会に挿入すると、「このカードは使用できません」との表示が出た。5番の外来受けて窓口にで事情を話すと、新カード「061-6713-4」を発行してくれた。遂に私の診察カードは寿命がつきたのだ。思えば1998年12月1日が初診日だった。あの日から21年が経過した。新カードで、採血予約を入れようとしたら、既に主治医の本間先生が採血予約を入れておいてくれた。この日は、DM内科の診察びであった。幸いにもHbA1Cの数値が前回よりも下がって7.3であった。

 ■血小板の数が増えない■
 診察室をでてから待合のベンチで検査結果のうち肝臓関連をみた。AST 29 、ALT 20 であった。共に基準値以内に入っていた。しかし、血小板の数値は13.3であった。前回は。たしか15.5まで増えていたので、また下がってしまった。一喜一憂しても仕方のないことだと分かっていても切ない気がする。私の肝臓の線維化はまだ回復の兆しを見せていないのである。ともあれ、マヴィレット服薬開始2週間後の2018年3月15日頃から、私の内なるHCVウイルスは消えた。服薬終了の2018年5月23日から2年間が経過しようとしている。

上司の鏡と下司の恥じらい―SNSの記事を読んで!

 本日、スマホツイッターFaceBookか何かを閲覧していて、極めて興味深い記事を読んだ。再度、読みたいと思ったが見つからない。それは若い医師の投稿であった。内容は概略以下のようであった。

 「研修医の時代にミスをしてしまった。上司にミスについて報告した。それを聞いた上司は、一言も文句も言わず叱責もせずに、物凄い速さで事態の収拾最大限に動いてくれた。部下のミスは私のミスである。私の高い給料はこのような場合に働くことも含めて支払っててもらっている。君(部下)はミスを私(上司)に報告したことで責任を果たしている。責任は私にある。このような上司の対応をうけて、私はこの上司のもとで働くことに喜びをもって過ごした。」

 これを読んで私は目から鱗の思いを感じた。私には勤め人時代に苦い経験がある。「部下に任せていた仕事が収拾ができない程に遅れた。仕事の遅れだけでなく別の問題をも惹起した。私は最大のフォローに回ることができなかった。結果としてこの中間管理職であったこの部下は降格となった。私は1年間のあいだこの部下(課長職)の仕事も上司(部長)として行い次の人事で後任者を充てるまで代行して凌いだ。事後処理には最善を尽くしたが自他双方に悔恨を残し筆舌し難い苦労をしたが適切な対応ではなかった。

 上記の上司の鏡のような方の態度を知ると自らの不明に今もって悔恨から忸怩たる思いで恥じ入るばかりである。武士なら腹切りものであろう。

 

「私の糖尿病」― (4) 食事と運動療法

(4)「私の糖尿病」― 食事と運動療法

 

 本日は3カ月半振りの糖尿病代謝内科の受診であった。先月の4月28日が受診予定であったが、折からの新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が発令された。幸いに血糖管理のためのグリミクロンに余裕があったので受診を今日まで繰り延べした。前回の受診の際に、血糖の指標であるHbA1cが8.4と高値だったのでこの間は生活の改善に心がけた。運動療法と食事である。効果が表れた。HbA1c 7.4、血糖(GL)102と前回に比べると何れも下がっていた。

 ここで、私の食事と運動療法についてまとめておきたい。

【運動】毎日歩行をを7000歩以上を目標に毎日歩く。さらに、木刀振り110回、スクワット、踵落とし30回を励行する。

【食事】夕食時のアルコール摂取を控える。特にビールを飲まないようにする。間食をしない。夕食を19~20時の間に済ます。次の食事であれ朝7時までの間は、水分以外は口にものをいれない。

 以上を励行することで血糖管理はできるようである。このような生活は退職して毎日が日曜日の老人であるからできることである。

「私の糖尿病」―(3) 血糖管理について考える

(3)「私の糖尿病」― 血糖管理について考える

 

 糖尿病内科の受診が3日後に迫った。実は、4月22日(水)が採血して消化器病内科受診、同28日(火)が糖尿病代謝内科の受診日であった。しかし、東京都に緊急事態宣言が発令された。不要不急の外出を避ける観点から、受診を5月19日(火)に先送りした。糖尿病内科では、グリミクロン(血糖管理)とブロプレス(血圧)の2つの薬を処方されている。幸いにも4週間の薬の余裕があったので受診を先送りすることができたのだ。
 食事をすると猛烈な眠気が襲ってくる。とくに少量でもアルコールを摂取すると眠気と倦怠感が起こり、食事後には何もできなくなる。多分、私の場合は食後高血糖が起こっているんだと思う。その対策として次のことを考えた。

■空腹ダイエット■
 夕方、16時を過ぎるとかなりお腹がすいてくる。もしかしたら低血糖が生じているのかもしれない。ここでお菓子を食べる。暫くして、夕方18時30分頃に夕食の用意をしながら酒が飲みたくなる。そこで、ビールを一缶を飲むことがある。摘みに煎餅やピーナッツを食べる。夕食時にはライスをお茶碗に2杯食べる。多分、この食事の仕方を改めれば血糖は上手く管理できるのではないだろうか?
 本日は16時のお菓子を止めた。ビールもやめた。夕食のライスは1杯にした。すると食事のあとの眠気が襲ってこない。そのお陰で本日はこのブログをかけた。あと2日間の血糖管理をして受診に臨みたい。HbA1cは過去1週間~10日くらいの血糖管理を反映するので、もう結果を左右できないだろう。とにもかくにも糖尿病は面倒なつらい病なんだ。そのことの自覚のために、何をどのくらい食べたかの毎日メモを付ける作業が必要だと思う。

 

相馬黒光の「黙移」を読んでいる

相馬愛蔵・黒光著作集」巻3「黙移」を読んでいる。この本は、1981年頃に全5巻を購入したらしい。本の中に、1981年5月12日(火曜日)に、東京・本郷で、その頃に私が通っていた「本郷ロシア語クールス」の例会開催の案内メモが挿入してあった。従って上記の本は四十年以上のあいだ読まれずに書棚で眠っていたことになる。この本はすごい感動的な内容だ。まだ読了をしていないのだが少しメモを残したい。

これは、相馬黒光がまだ「良」という一人の少女時代に遡って始まる来歴と自伝の物語である。黒光は宮城県の士族の娘に生まれた。14~15歳で宮城女学校に学び、そこから横浜フェリス女学校に転じ、さらに東京の明治女学校で学んだ頃の思い出と出会った人たちとの交流が描かれている。当時の明治女学校に島崎藤村や北村透谷が教師をしていた。後に有名な英語辞書を作った斎藤秀三郎の妹の冬と北村透谷の不幸に終わった結婚生活、国木田独歩と従妹の信子との不幸な結婚とその終焉、等々が語られる。有島武郎の小説『或る女』のモデルは、信子らしい。その有島武郎は46歳にして29歳の人妻と不倫の果てに心中をしてしまう。死体が死後2カ月くらい発見されなかったので、有島らの身体には蛆が湧いていたとの記述がある。有島武郎の『ひと房の葡萄』は中学校の教科書で読んだと思う。あの美しい感動の物語の作者は悲惨な最期を迎えていたと知った。
 まだ、「黙移」は半分まできたところである。黒光は相馬愛蔵に嫁ぎ、縁あって東京・本郷にでてきて、東大正門前のパン屋「中村屋」を買い取ってパン屋を始める。まるで、小説のような物語である。後半は、読んでからまとめたい。