TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

朝日「歌壇」を読んでみた感想から

 「枯れ畠(はた)に冬烏(からす)三羽集いけり」

 午後三時過ぎから買い物しながら恒例の散歩に行ってきた。歩きながら「57577」の三十一文字で情景を詠むと頭の体操になる、というので今日も試みた。稲の古株がのこっている枯れた田んぼ(畠)に烏が三羽降り立って何やら啄んでいるようだった。そのことを言葉にしようと試みたが上手くできない。取り敢えず、上の句を読んでみた。烏は小さいのと中くらいのと少し大きいのと三羽いた。

 本日は日曜日なので、朝日「俳壇」「歌壇」の日である。恒例の自選歌を捜してみる。その前に、俳句の方をみたら、「元旦も白衣の2021年はまさにこういう正月だった。
 短歌時評で、歌人の松村正直さんが、「今も続く除染」というコラムを書いていた。
 「除染なら三十年は仕事がある 食ひつぱぐれない。やらないか、除染。(小林真代)」 このところ福島の歌人に印象深いものが多い、と紹介していた。

 さて、例によって、各選者の選んだ10首から私の頭に残った歌を探してみる。
 「第九なき師走の街を温めしストリートピアノのクリスマスソング(相模原市 石井裕乃)」←高野公彦選: 世界のあちこちでストリートピアノがあるようですね。近くの、新百合ヶ丘駅にも前にありました。これって街の余裕のような感じがして好きです。

 「コロナ禍に特効薬なく死者二千なほおそろしき自殺者二万(横浜市 籾山 肇)」←永田和宏選: なんか辛い歌ですね。2020年は自殺者が増えたとのことです。

 「どっと来て枯れ木の花と咲く雀みな南向き日向ぼっこせり(前橋市 萩原葉月)←馬場あき子選: このころ雀の数が減ったように思う。前橋には雀がおおいのだろうか。雀は人間の生活の友達のように思う。

 「使い捨てマスクの多き道掃除老人会もみなマスクして(別府市 中根剛誠)←佐佐木幸綱選: 道をあるいていると、マスクがあちこちに落ちている。捨てたのでなくて、知らずに落としていたのだろう。落してのに気がついたら拾って自分で処分して欲しい。それが人としてのマナーであると思う。

 「はづせー」と言われ一斉にマスクを取り撮影すます卒業写真(町田市 村田知子)

 これは、六年生あるいは、中学三年、高校生の歌だろうか。卒業の集合写真の撮影風景だ。なにげない状況を歌にするのが妙なんですね。この歌を、高野、佐々木、永田の三人の選者が選んでいた。だから共選科でトップ賞なのだろう。でも、こういう歌って「ありのまま歌」ということだろうから。私には面白くはない。

 「どっと来て枯れ木の花と咲く雀みな南向き日向ぼっこせり前橋市 萩原葉月)

 この、萩原さんの歌がさりげなくって小さな発見で好きだ。これを真似して、私の歌を完成させた。

 「枯れ畠(はた)に冬鴉(からす)三羽集いけり家族だろうか友達だろか」
 前橋の萩原さんの、雀の歌を読んでいたら、「家族だろうか友達だろか」という下句が浮かんできた。

 さらに、推敲して今風なありのままにしてみた。

 「枯れ畠(はた)に冬鴉(からす)三羽集いけりマスク外して暫し眺むる

 

 

『さよならギャングたち』(高橋源一郎)は面白いらしい

『さよならギャングたち』(高橋源一郎)は面白いらしい。読まないうちに、ますます読みたくなってきた。
 朝日新聞の文芸欄「ひもとく」に、「小説嫌いが好きな小説」というコラム記事を歌人の山田 航(わたる)さんが書いていたので読んだ。山田さんは、1983年うまれというから30歳だの人だ。『さよならバグ・チルドレン』『水に沈む羊』という歌集をだしているのだという。

<数少ない小説家としては高橋源一郎長嶋有がいるのだけれど、それぞれが小説の背景にあるのが詩と俳句で、韻文の感覚をベースに散文を書く作家だ。私の気に入る小説家はことごとく、詩歌にも通じているひとばかりである。高橋源一郎の『さよなら、ギャングたち』は、小説の途中でいきなり漫画がそうにゅうされたところで腹をかけて笑った。この作者は、物語というものを心から馬鹿にしているんだなと感じて嬉しかった。>
 というところで、また高橋さんの「ミヤザワケンジ」に戻って読み続けたい。
 山田さんは、長嶋有『鳴かない女はいない』とアメリカの作家ニコル・ベイカー『中二階』という小説を紹介していた。
 

モデルナワクチンー日本国内で治験を開始

 新型コロナウイルスワクチンに関して、日本政府供給の基本契約をしているのは、やはり、ファイザー、モデルナ、アステラゼネカの三社とである。ただ、治験の状況はバラツキがあるので、ファイザー製薬のものが先行している。

 ■モデルナ製■
 武田薬品工業は、1月21日に、米バイオ企業モデルナが開発した新型コロナウイルスワクチンの国内での治験を始めたと発表した。治験には、20歳以上の200人が参加する。武田は遅くとも、5月までに厚労省からの承認を目指すとしている。政府は、モデルナと武田との間で、6月までに4千万回分、その後9月までに、1千万回分の供給を受ける契約を結んでいる。
 ファイザー製■
 ファイザーは、昨年12月に、国内で初めてコロナワクチンの承認を申請した。昨年10月から実施している国内での治験データを2月までにまとめ、厚労省に提出する予定だ。政府は、1月20日ファイザーと年内に1億4400万回分の供給契約を結んだと発表した。政府は2月中に接種を始めたい考えだ。
 アストラゼネカ
 アストラゼネカも昨年8月に国内治験を始めた。政府とは、1億2千万回分の供給契約を結んでいる。このうちの、3千万回分(1,500万人分)は、3月までに供給する予定だ。準備ができた段階で厚労省に承認申請する方針だ。
 (2,021年1月22日 朝日新聞 江口英佑、真海喬生の記事より)

 以上のをみると、ファイザーのワクチンが早い。だが、いずれも拙速感は否めない、大丈夫なのだろうか?

二つの『春と修羅』を読んだ!

 「春と修羅」(宮澤賢治

 序

 わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い証明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんないっしょに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (ひかりはたもち その電燈は失はれ)

 

 「春と修羅」の冒頭を紹介した。これは、筑摩書房版「宮澤賢治全集」(第2巻)収載から引いた。読んでみた。宮澤賢治の生前に刊行されたのは、詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』(1924年)のみであったという。筑摩書房版「宮澤賢治全集」(第3巻には、「春と修羅・第二集」、が(第3巻)には、「春と修羅・第三集」が収載されている。つまり、「春と修羅」の第二集、第三集は、賢治の死後に編纂されて出版されたということだ。
 宮沢賢治は、1896(明治29年)年に岩手県花巻生まれで、肺結核で1933(大正10年)に亡くなっている。晩年の5年間は病床にあって、作品の創作や改稿を行っていた。37歳という短い一生だったのだ。

 次に、「春と修羅」(高橋源一郎)を読んだ。ポストモダンだって、どういう意図で、高橋さんは「春と修羅」を書いたのだろう。高橋さんの「春と修羅」は、認知症になった母親と父親をめぐる子どもたちも含めた物語なのである。今時、珍しい話ではないのだろう。ひとのさいごの、いわば「修羅場」のようなお話なのである。なんだか訳がわからない話なのである。取り敢えず読んでみた、

ポストモダン文学って何なのだ

 第164回」芥川賞に宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ」が決まったと報道があった。近く発売の文藝春秋(3月号)に載るだろうから読んでみたい。それにしても、処女作の『かか』で文藝賞をとり、第2作目で芥川賞受賞というのは凄すぎないか。まだ、大学2年生(21歳)だという。10年くらい前の、綿矢りささん、金原ひとみさんに次いで3番目の若さだという。
 さて、先頃に読んだ、高橋源一郎さんの「大人にはわからない日本文学史」の中で、綿矢りささんの作品に触れて、「日本の近代文学は綿矢さんの作品によって完膚なきまでにやっつけられた」というようなことを紹介していた。これを読んで、綿矢さんの小説は、『インストール』しか読んだことはないので、他の作品を読んでみたいと思っていた。そこにまた若い作家の誕生だ。74歳の爺である私に理解できるだろうか?
 ということで、先週来、高橋源一郎さんの『ミヤザワケンジ・グレーテストビッツ』を読んでいる。同時に筑摩書房版の「宮澤賢治全集』も引っ張り出して読んでいる。今日は「グスコードブリの伝記」を読んでみた。これはなんなのか読んでみてもわからない。次には、「春と修羅」を読んでみる。同時に宮澤賢治の『春と修羅』も読んでみたい。同じタイトルで書くというのは同いう意味なのだろうか?パロディーだろうか?
 ■ポストモダン文学って何?■

 ポストモダン文学とは、近代文学の特徴に反する特徴をもつ文学のことである、とウキぺディアの説明があった。近代文学は無矛盾性、秩序性、明晰性、簡潔性、建設性、独創性、普遍性などの特徴を持つ。これに対して、ポストモダン文学は物語の矛盾を肯定的に含んだり、時間軸の無秩序性、衒学性、蕩尽性、記号性、全面的破壊、模倣、大きな物語の終焉、普遍性への懐疑、自己の解体等々である、そうだ。なんのことかわからない。要するになんでもよいようだ。
 具体的には田中康夫さんの『なんとなく、クリスタル」、島田雅彦さんの『優しいサヨクのための喜遊曲』、高橋源一郎さんの『さようなら、ギャングたち』がポストモダン文学なんだという。チョットわからんないが高橋さんの本は興味がるの。もう少し読んでみたい。
 

米ファイザー「新型コロナワクチン」は変異型コロナウイルスにも有効らしい

 昨日(2021年1月20日)、日本時間では21日の未明に、米国の新大統領(第46代)にバイデン氏が就任した。バイデン米大統領は就任式を終えた20日夕方には、ホワイトハウスで17の大統領令なんどに署名したとのことだ。トランプ前政権が脱退した地球温暖化対策の国際的な枠組「パリ協定」への復帰手続記を進め、トランプ大統領が始めた世界保健機関(WHO)からの脱退手続きを中止した。一方、就任式を欠席したトランプ氏は、20日午前11時前、だいとうりょうの専用機で、フロリダに帰って行った。現職の大統領が、後任の就任式を欠席したのは、1869年の南北戦争後のジョンソン大統領以来とのことだ。地球全体に新型コロナウイルス感染が吹きあ荒れている中で、世界の政治も動いている。
 ■米国ファイザー製のワクチンのこと■
 米国の製薬大手ファイザーと独ビオンテックが共同開発した、新型コロナウイルスワクチンが、英国でみつかった感染が広がりやすい新型コロナウイルスにも有効だという実験室の研究成果が発表された。この研究成果は、第三者の専門家による査読を経ずに公表されたとのことだ。続報を待ちたい。

 ■日本もファイザーと正式に契約■
 田村厚生労働相は、日本もファイザーの新型コロナワクチンの供給について正式契約をしたと、1月20日に発表した。年内に、約1億4400万回分(約7200万回ぶん)供給されるという。ワクチン供給について正式に契約が結ばれたのは3社目とのことだ。(既に、モデルナとアステラメディカと契約が済んでいる?)

 
 
 

私の「医人」たちの肖像- (125) 左合治彦さんと双胎間輸血症候群に対する「内視鏡的胎盤吻合術」 ~2007年1月16日(火)

(125)左合治彦さんと双胎間輸血症候群に対する「内視鏡胎盤吻合術」~2007年1月16日(火)

 

もうすぐ私たちの初孫のAちゃんの14歳の誕生日がやってくる。2007年3月14日の早朝、私の満60歳の年に初孫のAちゃんがこの世に生まれてきた。
■長女が双児を妊娠■
●2006年11月:
 
姉妹のなかで遅く結婚した長女Nの妊娠がわかったのは、2006年秋のことだった。私たちは初孫の誕生を心待ちにしていた。そのころ住んでいた新宿区の隣の中野にある産科を受診していた長女が、「双子らしい」と主治医から告げられた時は、妹たちが手伝って育てるよと言い、嬉しいニュースだった。双子の出産なので大きな病院にかかった方が良いといわれ、距離が近い東京女子医大産婦人科(松田義雄教授)を受診した。多分、2006年12月中頃であった。東京女子医大には仕事で屡々いっていたので、受付で待ち合わせて一緒にいった。ところが、症状からみて「双胎間輸血症候群」の疑いがあるので、これに対処するには専門医のほうがよいだろうとなった。松田医師が診察室から東京世田谷の成育医療センターの左合治彦先生に電話連絡し、早いほうがよいだろうと、12月25日の受診予約をとってくれた。迅速な対応をして頂けたのも私の仕事柄が役に立ったのかもしれない。
■「双胎間輸血症候群」の手術療法■
2007年1月16日(火):
 
双胎間輸血症候群に対しては、その頃、内視鏡下のレーザー手術が緒についていた。先端医療なので、その手術ができるのは成育医療センターの他、浜松の聖隷三方原病院と何処やら日本でも3~4施設しかないとのことだった。この情報は専門雑誌「臨床婦人科産科」担当のMN君に聞いて知った。12月25日の受診で、やはり双胎間輸血症候群の診断が確定し、自宅療養しながら経過観察となった。
 年末年始は無事に経過し、私たちは1月3~5日まで京都に旅し、「わら天神」等で安産祈願をしてきた。しかし、1月11日に、切迫流産の危惧から成育医療センターに入院となった。入院しての経過観察からこのまま妊娠を続けるのは難しいとなり、内視鏡下レーザー手術を1月16日(火)に、佐合先生に施行していただいた。
 施行前の説明では、双胎児が二人とも助かるのは難しい。一人のみが助かる確率は50%くらい。最悪の場合には双胎児とも助からないとの説明であった。手術は無事に完了した。長女(母体)も胎児も大丈夫であった。しかし、たしか24時間後に小さかった方の胎児の心音が消えた。事前の診断確率通り一人のみが助かったのだ。その後、入院継続して経過観察を行った。症状が落ち着いてきたので、2月17日(妊娠24週と4日)で退院して自宅で療養を続けた。分娩予定は4月末か5月初めであった。
 その後は、外来受診をしながら経過観察をしていたが、3月11日に再び切迫流産にて入院となった。少しでも長く胎内での妊娠継続が望ましかったが、3月14日(27週と1日)で分娩となった。分娩後の回復は順調で、3月20日に母親は退院となった。
 しかし、生まれた赤ちゃんは保育器に繋がれたま、成育医療センターで数カ月の間の入院を余儀なくされた。体重は1500キロくらいの未熟児であった。長女は私どもの実家に戻った。母乳を絞り医療センターへ長女を乗せて、私が運転して車で届けた。1ミリグラムの母乳を飲むことから始め、赤ちゃんは健気に育っていった。
内視鏡的レーザー胎盤吻合術とは■
 双胎間輸血症候群とは、1つの胎盤を共有している一卵性双生児の胎児において、胎盤内で2児の血管がつながり(これを血管吻合という)、この吻合血管によって双生児間に慢性的な血流量の不均衡が生じる。つまり、一方の胎児からもう一方の胎児に血液が片寄って流れてしまうので、「双胎間輸血症候群」の名称となったようだ。血流量が多い胎児では、高血圧や多尿、羊水過多、心不全、胎児水腫が生じて、死亡するリスクが高くなる。一方、血流量が少ない胎児では、低血圧、乏尿、羊水過小、胎児発育不全が生じて、こちらの胎児でも最終的には死亡リスクが上昇する。
 この双胎間輸血症候群に対する新たな治療法として、2002年から国内で実施され始めたのが、「内視鏡胎盤吻合術」である。これは、内視鏡を用いて、吻合血管をレーザーで凝固・遮断する手術である。麻酔をかけて母体のお腹に胎児鏡を刺して子宮内に挿入し、吻合血管にレーザーを照射する。吻合血管の数は、個人差があるものの、平均すると5~10本程度、治療時間は一時間程度とのことだ。
■助かる可能性は従来の治療法6割程度から約9割に上昇■
 内視鏡的レーザー胎盤吻合術を施行した、2002~2006年12月までの国内4施設(対象181例)の結果では、少なくとも1児が助かる可能性は9割と、従来の治療法による成績を大きく上回っている。一方、重症の脳神経障害の発症は5%程度だった。先進医療として、この治療法が認められたのは、2005年8月からだ。2011年4月現在で、この治療を実施しているのは、全国で7施設(国立成育医療センター、聖隷浜松病院社会保険徳山中央病院、国立長良医療センター大阪府立母子保健総合医療センター、宮城県立こども病院、北海道大学附属病院)であり、全施設の治療件数は年に140~150程度とのことだ。(上記は成育医療センターの林 聡医師の解説からまとめた)
■医療の進歩に感謝■
 標記の記事を今回まとめるにあたり調べると、双胎間輸血症候群に対する「内視鏡胎盤吻合術」は、まだまだ先進医療技術であることわかった。2007年の時点で、成育医療センターの左合治彦先生は救いの神のように思ったことを、鮮明に覚えている。今回、インターネットで調べると白髪が見事になられていた。今は成育医療センター副院長の職にあるようだ。成育医療センターの「内視鏡胎盤吻合術」は、林 聡医長が中心になって進めていると知った。それにしても、このような先進医療の恩恵に預かって初孫のAちゃんに会うことのできた幸せに感謝するのみである。
 
このシリーズの第15回でThomas Kerenyiによる「選択的中絶手術」に触れた。1980年代の初めに米国で始まった「選択的手術」こそが、内視鏡による胎児手術の先駆けだったのであろう。
(2021.1.21)

(私の「医人」たちの肖像―〔125〕左合治彦さんと双胎間輸血症候群に対する「内視鏡胎盤吻合術」~2007年1月16日)