TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

気になる本『スピノザ』(岩波新書、國分巧一郎、2022年)ほか

(1)『スピノザ』(岩波新書、國分巧一郎、  円)。

『中動態の世界』(「ケアをひらく」に収録、2017年)を國分さんが医学書院から出した。その頃は國分さんは高崎経済大学の准教授だったと思う。この本を読んでいない。読みたい。岩波から『スピノザ全集』の刊行が始まった(2022年12月)。いまから60年前の高校生のときにスピノザが好きで「エチカ」を読んだ記憶がある。理解はできていなかったろう。

(2)『燕は戻ってこない』(集英社桐野夏生、2022年)
 第57回吉川英治文学賞に。

(3)『神話学入門』(大林太良、中公新書、1966年)
 例の妖怪研究者・国際日本文化研究センター前署長の小松和彦さんが推奨している。

横浜総合病院を受診してきたー帰りに寺家故里村に寄った

 横浜総合病院を三か月ぶりに受診してきた。小脳出で倒れた家内の経過観察のためである。今回は10時~10時30分の枠のアポイントだったので、9時15分には家をでた。9時を過ぎていたので通勤ラッシュは過ぎていたが、3月という時節柄か道路工事が多かった。それでも10時前には病院についた。何と10時12分に呼ばれて10時14分には終了した。3分診療ならぬ2分診療である。これも患者の私たちの準備がよいお陰である。過去3カ月間の血圧測定記録をエクセル一覧にして持参した。先月2月21日に受けた川崎市の健康診断結果も持参した。最近の生活状況をお話した。3月9日は山歩きに行って2万8000歩を歩いたことを話したら主治医の横内先生が笑っていた。良い主治医だと思う。

『こんなとき私はどうして来たか』(中井久夫著、医学書院、2007年刊)を読み終えた

 本日は東大病院で復部MRI検査の日だった。その道中で本書を読み進めていま残りを読み終えた。昨日に続き、4.「病気の山」を下りる、5.回復とは、治療とは・・・を一気に読んだ。さらに、付章1インタビュー多少の補記を兼ねて、付章2精神保健いろは歌留多、あとがきにかえて、までを全部読んだ。感想はこうだ。

 この本は中井久夫さんの「自分史」みたいな本だ。有馬病院での講義の記録なんだが「講義」っていいながら、「こういうケースではこうする」と偉そうに説明するのではなくて、「私はこうやってきたんだがね・・・」って、自分の経験を話している記録である。京大法学部に入って、途中から医学部に転じて、最初は「京都大学ウイルス研究所」に入る。5年以上もいてウイルスの基礎研究をを行い、学位までとっている。その途上でペンネームで日本の医学を批判する本を書いた。それが因で、教授から「自己批判せよ」と言われ、断って破門された。ウイルス研をでる。あるきっかけで精神科に転ずる。大阪大学でさらに学び、精神科に転じ、東大の目白分院の精神科に勤める。そいう流れである。
 本書『こんなとき私はどうして来たか』はもともとは医学書院の雑誌「精神看護」に連載されたもののようだ。石川成子さんが担当していた。「ケアを開くシリーズ」の一冊にしたのは編集者の白石正明さんだ。付章に載っている「精神保健いろは歌留多」は「歌留多」としてしても独立して刊行されたと思う。この本より前に『看護のための精神医学(中井久夫山口直彦)』も出版されている。この本も白石正明さんが編集して作った本だ。読んでみたい。

オトナの保健室ー女性用風俗 求めるものは (朝日新聞夕刊、2023年3月15日)を読んで

 <女性は何を求めて「そこ」へ行くのでしうか。近年、「女性風俗」という言葉を見聞きするようになりました。男性セラピストによる接客を経験した漫画家、女性が女性に接客する店のキャスト、2人の女性に聞きました。>

 これはどういう記事なんだろう。最近の論調では、LGBTQもある一方で軽はずみに性行為にいたる行動は男にとって許されない方向にある。一方で、こういう記事が朝日新聞に大きく掲載されている。いい傾向なんだがなんだがよく理解できない部分もある。それで記録しておきたい。引用する。

<■心満たされた でも■
 ■漫画家の音咲椿さん=自画像(載っている)=は連載中の漫画「私が女性用風俗を利用した結果。」ぶんか社)で、自身の経験をつづりました。彼氏にセックスを拒否されたことがきっかけでしたが、利用したことで自分が何を求めているか気づいたと語ります。>

 「セラピストの接客を受け、性欲ではない、大切なものが満たされる得難い経験をしました。それを描きたくて本作が生まれました。ただ、女風を2回利用し、自分が真に求めるものは、心の……。」

 セラピストという表現をするのか?なんかこの記事はわからない。漫画「私が女性用風俗を利用した結果。」(ぶんか社)を探して読んでみたい。

1年振りに腹部MRI検査を受けた―本郷には春がきていたがヒポクラテスの樹の葉はまだない

 本日は、昨年の三月から1年経過して、腹部MRI検査を東大病院で受けて来た。早朝,6時17分頃に尿意で目覚めてそのままおきた。朝食は抜きなので、洗面を済ませて6時50分にはは家を出た。7時7分のはるひ野駅発に乗り、栗平駅で7時14分発の急行新宿行きに乗り換えて、新宿には7時55分くらいには到着した。そこから、大江戸線新宿西口駅で本郷に向かう。東大病には8時35分くらいに到着。本日は採血もないので、9時前には地下一階のMRI検査受けに行く。検査の予定は、9時30分であったが、9時少し過ぎには検査室に入れた。上下を検査衣に着換えた。前回と同じく、「ボースデル」という造影剤を400㏄くらい飲んだ。この飲み薬は、マンガンの入った造影剤である。MRI検査の磁気に反応するので、画像が鮮明になるとのことだ。服用後に下痢等の副反応がでることがあるらしい。検査は20分弱なので、9時40分には終了した。
 記憶と記録のために書いておいた。次週、3月22日に結果を聞きに受診する。

(続く)

「病棟運営についていくつかのヒント 」 (『こんなとき私はどうしてきたか(中井久夫)』を読み継ぐ

「病棟運営についていくつかのヒント 」を読んでいる。読まなくてもいいのでないかと思いながら・・・。

(1)どんな環境がひとを苛立てせるのか
 色彩、
 室内環ー窓、壁、天井を考える
 音の重要性
 季節と気候
  気候でいうと、雨の降る前の方が人間はイライラします。

「待つこと子ができれば半治ったのと同じ」と土居健郎先生はおっしゃいました。」
 
こんなことばが書いてあった。

(2)人的環境としての「部屋割り」

 まん中のベッドの人は治りが悪い

(3)病棟スタッフの和をどうささえるか 

(4)改革時の病棟マネージメンー私の経験から

 この本を、現役の管理職のときに読めばよかった。私はよく生き延びたと思う。夜の会議の前には、寸暇を惜しんで、マッサージへ行ったりしていた。正しい生き延び方だった。あの豪快な上司のHNさんは、偉そうにしていたが酒で保っていたのかもしいれない。
 精神科の医師って人間の探求者なんだと知った。

「生きて読めそして書け」と神が言うー明日は受診日で―生澤夏樹さんの追悼を全文引用した

 神がいるのだろうか?わからない。だけど神が欲しい。生きるとはそういうことだろう。

 作家の大江健三郎さんが亡くなった。「見る前に跳べ」「懐かしい年への手紙」「みずから我が涙をぬぐいたまう日」、等々、大江健三郎さんの小説、エッセイ集にせよ、タイトルが特異であった。編集者がつけたのではなくて本人が付けたのであろう。愛媛大学医学部ができたとき、当時の仕事の出張で愛媛県から高知県に抜けるルートを敢えて選んだので、大江健三郎さんの故里近郊を通過したかもししれない。大江さんが「飼育」☆わで芥川賞を受賞されたのは。石原慎太郎さんの「太陽な季節」や丸山健二さんの『夏な流れ』の頃だった。わたしが高校生から大学に入るころだ。

 大江健三郎さんが亡くなったと知った。2023年3月3日とのことだ。昨日、3月13日まで伏せていたらしい。老衰ということだが、昨年末から弱っていたのかもしれない。88歳という年齢は、瀬戸内寂聴さんや加賀乙彦さんより若い。「老衰」ってどのように自らの「死」を認識するのだろうか。

 さて、大江健三郎さんのへの「追悼」を何方が書かれのか待っていた。池澤夏樹さんが今日の朝日新聞に寄稿しておられた。全文を引用する。

  <タイトル:大江健三郎さんを悼む(寄稿 池澤夏樹(作家)>

 大江  健三郎
 なんと美しい名前だろう。
 やわらかい母音が三つ連なり、それをKという子音がしっかり受けて、更にごつごつしたZが乱して、「ろう」で丸く収まる。音節の数は軽く七五調を逸脱している。
 こんな名前を持った男が詩人でないはずがない。
 いわゆる詩集はない。しかし彼の小説のタイトルをみればそれがそのまま詩であることは歴然としている。
 思い出すままに順不動で並べてみれば(このところぼくは羅列という古代的な文芸の手法を多用している)ーーー
 燃えあがる緑の木
 洪水は我が魂に及び
 芽むしり仔撃ち
 狩猟で暮したわれらの先祖
 人生の親戚
 われらの狂気を生き延びる道をおしえよ
 「雨の木(レイン・ツリー)を」聴く女たち
 自ら我が涙をぬぐいたまう日
 懐かしい年への手紙」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(こういう書き方もあるのか、池澤さんの切り口に感心した。たしかに、大江健三郎さんの本のタイトルは面白いね、)

 そして、これらの小説の本文はそのタイトルを冠として戴いて当然の密度ある文体で書かれている。それが二百ページでも七百ぺーじでも緩んだところがまったくない。この統御の力はそれだけでため息を誘う。
 思想についてはどうだろう。
敗戦から始まって見下がりの斜面をずりおちてここまで来てしまった日本社会の流れに大江さんはいくつものダムを築いて抗した。時には路上に自ら坐り込みまでした。憲法第九条表わされる戦後という時代の精神を明快に伝えてきた。ぼくたちに「戦後」はほとんど元号であり、大江健三郎はそこに君臨しないままに統治してきた。

 (下線を引いた部分はどういうことを言っているのか?私はわからない。)

 社会における女たちの力を正しく読みとって、家刀自(いえとじ)や乙女らの活躍・暗躍を描くことで明治期以降の家父長制の日本の歪みを是正しようとした。
 小説の奔放は言うまでもない。どうしてこんな展開になるのかとあきれるばかり。
 『同時代ゲーム』を例に取れば、メキシコの大学で講ずる男が故郷の妹に宛てて書く手紙という体裁をとっている。彼の前の壁には妹の陰毛の写真が貼ってある。この場合、妹は過去への通路を確保する巫女(みこ)なのだ。そして、その過去。四国の山中にあった、中央の権力の外にある小さなコミュニイティーの波瀾に満ちた、というよりむしろ破天荒な歴史。近代という時代の
 大江さんがメキシコの教壇に立ったのは事実で、そこでたまたあるバーで隣に坐ったのが作家で写真家のファン・ルルフォだったというエピソードが伝えられている。

 (『同時代ゲーム』という小説を読んでいないので、読んでみよう。)

 ぼくが自分勝手に『日本文学全集』を作ろうと思い立った時、大江さんはずいぶん応援してくださった。刊行にさいして公開の対談の相手をしていただいた。この全集の方針として古典の現代語訳を作家や詩人に頼むということがあった。「これで次の世代の読者に古典が手渡されるといいのですが」とぼくが言うと、大江さんは「それ以前に、その作家や詩人の人たちがこの仕事を通じて変わると思いますよ」と言われた。
 これには虚をつかれた。そういう視点があることに気づいていなかったのだ。そして、実際に彼らは大きく変わった。それは今や一つの潮流となった気がする。

 (池澤さんの編集された『日本文学全集』はすごく斬新であると思う。幾つかを私も読んだ。樋口一葉の小説も、この全集で読んだ。)

 先に挙げた大江さんの作品のタイトルのいくつかはブレイクやオーデンの詩から取られている。ここ何年かお目にかかることはなかったが、そういう機会があったとしたらぼくはディラン・トマスの「ロンドンの大火で亡くなった少女を悼むこと拒絶する」という詩のことを話したかった。安直に、形ばかりの悼みをするなという内容で、ぼくに言わせれば実に大江的なのだ。
 さて、もう大江さんはいない。目の前には作品の山脈がある。再び一座ずつ登らなければならない。

(大江さんに、『見る前に跳べ』というタイトルの「小説」があったと思う。このタイトルは、たしか、オーデンの詩から取ったのではなかったろうか。「再び一座ずつ登らなければならない。」と、池澤さんはこの追悼文を結んでいる。大江健三郎さんをまた読み返そうという決意なんだろう。)

(ここまで)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▶本日の気になる本
(1)『トシトリ手引き』(老年医学・精神科医 和田秀樹毎日新聞出版、1320円)
(2)『寒い国のラーゲリ」で父は死んだー父、山本幡男が遺した言葉を抱きしめて』(山本顕微一、パジリコ、1980円)
 映画「ラーゲリからの手紙」を補完する。凍てつくシベリアの収容所で父は同義に生き、そして死んだ。父、山本幡男は、ロシアの強制収容所ラーゲリ)の過酷な日々の中でも決して希望をうしなうことなく、仲間、そして自らを励まし続けた。
(3)『世界食味紀行(芦原伸、平凡社新書、980円)