TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「私の視点―がんゲノム医療 病理専門医正しく関与を」に触発されて

「癌ゲノム医療―病理専門医正しく関与を」という興味深い記事を(2019年3月30日)朝日新聞・朝刊「私の視点」という投稿欄で見つけた。著者の長村義之さん(元日本病理学会理事長・米国病理協会査察官)は二度くらいお目にかかったことがある。脳外科の雑誌…

私の「医人」たちの肖像―(68 ) 石井裕正さんと座談会「アルコール医療の新展開」 ~1987年11月19日(木)

(68)石井裕正さんと座談会「アルコール医療の新展開」 ~1987年11月19日(木) 1987年11月19日(木)。午前中は大手町パレスホテルで高松宮妃癌研究基金シンポジウムの記者会見に参加した。夕刻の18時から座談会「アルコール医療」の収録を東京・新宿のス…

「私のC型肝炎物語」第1章:マヴィレット治療への挑戦―(34 ) 服薬終了後284 ~306日:合気道の稽古と孫との旅に感謝のみ!

(34) 「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦― 服薬終了後284~306日:合気道の稽古と孫との旅に感謝のみ! ■服薬終了後284日目■ 2019年3月6日(水): 本日は午前中に庭の小松菜を採取し畑を耕した。馬鈴薯の種芋1Kg(13個)を二つに切…

私の「医人」たちの肖像― (65)日野原重明さん⑦と「日野原記念ピース・ハウス病院」 ~1987年8月29日

(65)日野原重明さん⑦と「日野原記念ピース・ハウス病院」~1987年8月29日 「日野原記念ピース・ハウス病院」は、日野原重明さんが作った有名なホスピスである。新宿から小田急線で1時間半、秦野駅近郊にある。最近、御殿場線の上大井駅から数回にわたって…

私の「医人」たちの肖像―(67)井村裕夫さんと座談会「神経-免疫-内分泌・軸」 ~1987年10月5日

(67)井村裕夫さんと座談会「神経―免疫―内分泌・軸」~1987年10月5日(月) 座談会「神経―免疫―内分泌・軸」を収録するために、1987年10月5日(月(月)の午後から、上司のMMさんと一緒に京都へ出張した。京都市役所近くの京都ホテルを、午後18~21時頃まで収…

私の「医人」たちの肖像―(64)林 峻一郎さんとエッセイ「ペルーで考えたこと」 ~1987年8月10日(月)

(64)林 峻一郎さんとエッセイ「ペルーで考えたこと」~1987年8月10日(月) 医学界新聞・第1761号(1987年8月17日付)の「出張校正」のため、東京・新橋の大日本法令印刷へ、上司のMMさんと一緒に行った。この日に「下版」した号には、「第30回日本消化器…

私の「医人」たちの肖像― (63)野村達次さんと勝木元也さん対談「実験動物と医学研究 ~1987年7月22日(火)

(63)野村達次さんと勝木元也さん対談「実験動物と医学研究」~1987年7月22日(火) 実験動物中央研究所(以下、「実中研」)を、1987年7月22日に訪れた。実中研は田園都市線で渋谷から30分ほど、宮前平駅から徒歩10分位、川崎市宮前区、畑に隣接した新興住…

私の「医人」たちの肖像―(62)満屋裕明さんと対談「AIDS治療最前線」 ~1987年7月1日(水)

(62)満屋裕明さんと松本孝夫さん、対談「AIDS治療最前線」~1987年7月1日(水) 日本臨床免疫学会が、1987年7月1日(水)~3日(金)の3日間、札幌市の厚生年金会館で開かれた。1987年6月30日(金)、東京・駒場の駒場エミナースで開かれた「組織培養学会…

私の「医人」たちの肖像―(60)中尾喜久さんと「第22回医学会総会開会式」 ~1987年4月4日(土)

(60)私の「医人」たちの肖像ー中尾喜久さんと「第22回医学会総会開会式」 ~1987年4月4日(土) 第22回日本医学会総会開会式が、1987(昭和62)年4月4日(土)、東京・品川の新高輪プリンスホテルで開かれた。■第22回日本医学会総会開会式■●1987年4月4日(…

私の「医人」たちの肖像―(59)金澤一郎さんと座談会「神経科学の近未来」 ~1987年3月4日(水)

(59)金澤一郎さんと座談会「神経科学の近未来」~1987年3月4日(水) 1987年2月13日(金)。東京・平河町の全共連ビルで開かれていた何かの研究会に出席されていた金澤一郎(当時、筑波大学助教授・神経内科)さんに会いに出かけた。そこで、「神経科学」…

映画「岬の兄妹」を観た―黙して謙虚に生きよとという!

映画「岬の兄妹」を見て来た。3月1日から新百合ヶ丘のイオンシネマで一日に3回くらい上映していた。朝日新聞の映画評を読んで観たいと思っていた。昼間に見たいと思っていたが本日上映スケジュールをみると夜の19時30分からの1回しか上映していない。思い切…

私の「医人」たちの肖像―(58)塩川優一さんと「国際AIDS治療カンファレンス」 ~1987年2月13日(金)

(58)塩川優一さんと「国際AIDS治療カンファレンス」 ~1987年2月13日(金) 「エイズ」が社会で注目を集めていた。そのため、エイズ関連のシンポジウム等が、医学関連の学会、研究会等で頻繁に開催されていた。可能な限りそれらを私は取材した。 「国際AID…

私の「医人」たちの肖像―(56) 和田武雄さんとインタビュー「基礎医学と連携した臨床腫瘍学を」 ~1986年10月30日(木)

(56)和田武雄さんとインタビュー「基礎医学と連携した臨床腫瘍学を」~1986年10月30日(木) 1986年10月30日(木)。「日本失語症学会(現・日本高次脳機能障害学会)」の取材に、午後13時から行った。夕刻に本郷の会社に戻って、18~20時まで和田武雄先生…

「私のC型肝炎物語」第7章:マヴィレット治療への挑戦―(33) 服薬終了後262~277日:稽古着を新調して合気道で体調管理!

(33) 服薬終了後262~277日: 稽古着を新調して合気道で体調管理 マヴィレット服薬終了してから8ヶ月が経過した。体調は変わりない。粛々と合気道の稽古を続けて体調管理に努めた。これからは東大病院受診日及び合気道稽古日の様子を経時的に記述するに止…

私の「医人」たちの肖像―(55) 北村 敬さんと座談会『どうなる日本のAIDS』 ~1986年10月27日(月)

(55)北村 敬さんと座談会『どうなる日本のAIDS』~1986年10月27日(月) 1986年10月27日(月)、医学書院の会議室で、午後18~20時にかけて、座談会「AIDS」を収録した。初めに、当時の日本におけるエイズの状況がどのようなものであったか、過去のスクラ…

日の名残りを読んで思うこと―人生、夕方が一番いい!

カズオ イシグロ の 「日の名残り(土屋政雄 」が稲城図書館の返却棚で、僕に読んで欲しいと微笑んでいた。早速、借りて読み始めた。晴耕雨読なんて言わないが、一冊の本を携えて旅に出たいような気がして来た春のはるひ野である。タイトルの「日の名残りに…

私の「医人」たちの肖像―(52)大野 乾さんと鼎談「遺伝子・進化・人間」~1986年5月1日(木)

(52)大野 乾さんと鼎談「遺伝子・進化・人間」~1986年5月1日(木) 1986年5月1日(木)。メーデーで会社は休日だったが、出勤して午後18時~20時まで本郷の料亭「百万石」で、座談会(鼎談)「遺伝子・進化・人間」の収録を行った。 「遺伝子・進化・人間…

私の「医人」たちの肖像―(51)野田 亮さんと「癌遺伝子研究」~1986年3月31日(月)

(51)野田 亮さんと癌遺伝子研究~1986年3月31日(月) 1986年3月31日に、野田 亮先生(当時は理化学研究所)に、「進む日仏の科学研究協力」(医学界新聞・第1714号)掲載」の校正を送った。仏パスツール研究所と理化学研究所との研究協力について紹介いた…

私の「医人」たちの肖像―(50)山本保博さん②と「国際緊急援助隊専門家チーム派遣」 ~1986年3月11日(火)

(50)山本保博さん②と「国際緊急援助隊専門家チーム派遣」~1986年3月11日(火) 1986年3月11日(火)。午後18時に文京区・千駄木の日本医大救急救命センターに山本保博先生を訪問した。「国際緊急援助隊専門家チーム派遣―山本保博氏に聞く」というインタビ…

「私のC型肝炎物語」第7章:マヴィレット治療への挑戦ー(32) 服薬終了後247~254日:新年に,7年ぶりの海外旅行!

(32) 「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦― 服薬終了後247~254日:新年に、7年ぶりの海外旅行! ■3泊5日のバリ島―7年ぶりの海外旅行■ 2019年1月23日(水): 本日で、服薬終了後から248日を経過した。 2019年1月19日(土)に成田山新…

私の「医人」たちの肖像— (47) 向井紀二さんと「Harvey Cushing 最後の日」~1986年2月20日(木)

(47)向井紀二さんと「Harvey Cushing 最後の日」~1986年2月20日(木) 1986年2月20日(木)。医学界新聞(第1689号)の出張校正で港区・新橋の大日本法令印刷へ行った。「Cushing最後の日(Zimmerman著・向井紀二訳)を、医学界新聞・第1689号に掲載した…

「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦―(31) 服薬終了後226~241日:古稀を迎え,合気道で体調管理を継続!

(31) 「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦― 服薬終了後226~241日:古稀を迎え、合気道で体調管理! ■古稀の新年を迎えた!■ 2019年1月2日(火): 2019年の元旦は穏やかな日であった。7時半過ぎに起きた。9時少し前からお節とお雑煮の…

私の「医人」たちの肖像― (33) Robert Gallo さんとインビュー「進むエイズ(HIV)ウイルスの解明」~1984年11月14日(水)

(33)Robert Gallo さんとインタビュー「進むエイズ(HIV)ウイルスの解明」~1984年11月14日(水) ロバート・ギャロ(Robert Gallo)さんが、第15回高松宮妃癌研究基金国際シンポジウムに参加のため来日した。彼は米国NIH(National Institute of Health…

「私のC型肝炎物語」 第7章: マヴィレット治療への挑戦ー (30) 服薬終了後196~220日: ウイルスが消えたが,ASTは下がらない!

(30) 「私のC型肝炎物語」第7章:マヴィレット治療への挑戦― 服薬終了後196~220日:ウイルスが消えたが、ASTは下がらない! ■服薬終了後197日■ 2018年12月5日(水): 本日は午前中10時半から12時20分頃までY子と近隣を散策した。はるひ野駅前のポス…

私の「医人」たちの肖像― (48) 赤池 陽さんと座談会「ライフサイクルから見た女性のこころとからだ」 ~1986年3月7日(金)

(48)赤池 陽さんと座談会「女性のライフサイクルと心の成熟」~1986年3月7日(金) 1986年3月7日(金曜日)。「女性のライフサイクルと心の成熟(D.G. Hertz・堀口 文・赤池 陽)」という座談会の紙面構成(レイアウト)を行った。■座談会「女性のライフス…

私の「医人」たちの肖像ー(49)三浦謹一郎さんとインタビュー「たんぱく質工学への期待」~ 1986年3月11日(火)

(49)三浦謹一郎さんとインタビュー「たんぱく質工学への期待」~1986年3月11日(火) 1986年3月11日(火)。午後、東京大学工学部の三浦謹一郎先生にインタビューをした。「たんぱく質工学」がインタビューテーマだった。このテーマは、1986年第1号に掲載…

私の「医人」たちの肖像 ー (46) 青木 清さんとインタビュー「ニューロエソロジーとは何か?」 ~1986年2月5日(水)

(46)青木 清さんとインタビュー「ニューロエソロジーとは何か?」 ~1986年2月5日(水) 1986年2月5日(水)。東京・四谷の上智大学で青木 清教授に、ニューロエソロジーについてインタビューをした。この時が上智大学に行った初めてだった。あまり広くは…

五木寛之「百歳人生を生きるヒント」を読んで思うこと

作家の五木寛之さんの「百歳人生を生きるヒント」(日経プレミアムシリーズ)を稲城図書館で見つけて借りて読んだ。以前(多分、昨年)「孤独のすすめ」(中公ラクレ)というこれも新書を読んだ。たしか広告のキャッチフレーズに「あなたが孤独を感じている…

「私のC型肝炎物語」第7章:マヴィレット治療への挑戦―(29)服薬終了後176~182日:墓参り、合気道の稽古を続ける!

(29) 「私のC型肝炎物語」 第7章:マヴィレット治療への挑戦― 服薬終了後176~182日: 墓参り、合気道の稽古を続ける! ■服薬終了後176日目■ 2018年11月15(木): 本日は久し振りに多磨霊園にお墓参りに行った。10時半頃に家を出て11時頃について墓参り…

私の「医人」たちの肖像―(44 ) 北 徹さんとインタビュー「Brown & Goldstein両博士に聞く―科学することに大胆であれ」 ~1986年1月6日

(44)北 徹さんとインタビュー「Brown & Goldstein両博士に聞く―科学することに大胆であれ」~1986年1月6日 座談会「日本の科学・日本の医学」を掲載した医学界新聞・第1561号(1986年1月6日付)に、北 徹さん(京大助手・第三内科)による「1985年ノーベル…