TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「世界アルツハイマーデー」と『どんなご縁で』!

 毎年9月21日は「世界アルツハイマーデー」だ。われら団塊の世代が80歳を超える2025年には国の推計によれば全国約700万人が認知症になるという。神奈川県の推計では県内では認知症の患者が45万人になる。私もそれに含まれるのかな? 2025年というとあと9年後のことだ。

 ■世界アルツハイマーデー■

 「国際アルツハイマー協会」」は、世界保健機構(WHO)と共同して、毎年9月21日を「世界アルツハイマーデーデーと制定した。1994年この日にスコットランドエジンバラで第10回国際アルツハイマー病協会国際会議が開かれた。会議の初日の9月21日を「世界アルツハイマーデー」と宣言して、アルツハイマー病に関する認識を高め世界的な規模で患者と家族に援助と希望をもたらすことを目的として制定した。今年も2日後のこの日に併せて日本各地でもいろいろな啓蒙活動の行事が予定されているようだ。

 ■昔から「ぼけ老人」は珍しくなかった■

 昔から認知症は幾らでもいて当時はぼけ老人と言っていた。私が子供のころ今から60年前の田舎では近所のお婆さんが縁側に座って「ぼ~っ」としていることは珍しくはなかった。何故かお婆さんが多かった。当時はいまほど長命ではなかったから齢70にもなっていなかったのかもしれない。お爺さんは呆ける前に退場していたのだろう。私の母は81歳で亡くなった。80歳少し前にはたぶん認知症になっていたのだと思う。田舎の実家に行って私と会ってもある時から嬉しそうな顔をしなくなった。今から思えば息子の私を認識できなくなっていたのかも知れない。同じ敷地の別棟に私の兄の家族が棲んんでいた。母だけは隣の旧い家に一人で住んでいた。まがりなりにも一人で食事をして一人で洗濯をして身の回りの世話もやっていた。そしてあるとき朝起きてこないので見に行ったらこと切れていた。心不全の診断がついたので心臓発作で亡くなったのだ。夫つまり私の父の介護を数年して見送ってから10数年が経っていた。孤独死であった。しかし孤独を感じてはいなかったろう。見事な生きざまであり、死に様だ。別棟に住む兄嫁の手を煩わせることは全くなかった。

 ■耕治人の『どんなご縁で』■

 閑話休題。「認知症になったって良いではないか」「他人(ひと)さまのお世話になるほど長生きしようよ」という人もいる。「他人さまに迷惑をかけるようなことだけはするな」19歳で故郷を後にしたとき父から言われた。この言葉を遵守してきた。この倫理観(だろう)が多くの日本人を縛っている。「ひとさまの迷惑にならない」は「ひとさまの迷惑をうけいれない」、つまり裏返すと「ひとさまにやさしくなれない」となる。この考え方が日本人のあいだに無償のヴォランティアが根付かない原因である、との指摘もある。

 『どんなご縁で』は、耕治人さんの小説である。最後の白樺派作家といわれた耕治人さんの妻のヨシさんが呆けてしまった。やさしく世話をしてくれる夫対して「どんなご縁で・・・」と言ったという。老々介護の実話に近い物語のなようだ。実はこの本の存在は知ってはいるが、未だ読んでいないので今日はここまでしか書けない。