TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「アリョーシャ年代記」を読んだ!

 工藤さんが書かれた「アリョーシャ年代記」を一気に読み終えた。昨日は台風19号で家に閉じ込められていたので良い読書の機会であった。アリョーシャと言えばどうしても「カラマーゾフの兄弟」の末弟(三男)を想い起す。アリョーシャは真のひとの代名詞のような良きひとであった。「アリョーシャ年代記」のアリョーシャも良き人であった。舞台はロシアの中世14世紀となっている。物語は主人公アリョーシャの10代から20歳ころの放浪の旅の中における成長の物語である。中世ロシアの混乱した世の中と凍て空く自然を背景にしている。その旅と日々の移ろいには些か不自然なものもあるがそれは問わない。公国の勢力争いや農民の反乱もあり凄惨な殺しあいもあるのだがそれらはまるでオブラートで包まれているようにも感じられる。アリョーシャは何を求め何処に行こうとしているのかを追い求めて読んでいると、物語は15年の時空を経てエピローグに進んだ。次の一節が心に響いた。

 「若かったアリョーシャよ、おまえはこのとき初めてすべてを悟ったはずだ。彼女は誇らしげにまっすぐに立ち、アリョーシャに向かって、神はいますか、と問いかけた。潮風でかすれたような声だったが、そー言って目の前のアリョーシャを見つめた。アリョーシャは打てば響くように答えた。何のためらいもなかった。ええ、神はあなたとともにいます。その瞬間、彼女は知恵遅れの息子が真剣にキリル文字をおさrくぁいしていたとき、つうくろいものをしながら微笑んだと同じ微笑みを輝かせ、そうですね、と言った。」
  一節はアリョーシャの出会いと別れの象徴であるだろう。この稀有なとも言える物語はひとと人の出会いと別れの折なす物語である。「かみはあなたとともにいます」このように言える人がいるだろうか。何のためらいもなくアリョーシャが答えたときアリョーシャはわかったのである。この物語を読みながら私はなんだかこころが安らかな思いがした。全編を通じて不自然と言うくらいアリョーシャの出会いは幸いなのである。