TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

森鷗外 記した「医者の心得」―今日の新聞から

 興味深い記事を読んだ。森鷗外 記した「医者の心得」―今日の朝日新聞夕刊から紹介する。
 軍医でもあった森鷗外医学書に寄せた序文で医者としての基本的な心得を述べているのだという。「病人をみずして病気をみる」の戒めを既に森鷗外が指摘していた。以下、新聞の引き写しにもなるが記憶と記録のためにここに記しておく。

 件の序文は、鷗外の出身地島根県津和野町が2017年に埼玉県の収集家から購入し、森鷗外記念館(津和野町)の所蔵資料になった約7500点の中から見つかった。1891(明治24)年に刊行された医学書「新纂診断学」に、本名の森林太郎の名前で3頁にわたり約400字の漢文でつづられている。
 「近世の治術は専ら器械を借りるは是也れなり。蓋し器械は五官の及ばざるを扶け、以て功を成すのみならん。」いまの日本語になおすと次のようだ。「近ごろの医者は専ら医療機器に頼る傾向がある。要は、目、耳、鼻、舌、皮膚の五官の観察の及ばないとき、医療機器を用いて初めて成功するのである。」

 鷗外記念館によると、1884(明治17)年から4年間のドイツ留学を終えて、陸軍軍医の教官を務めているときに執筆したらしい。
 この記事には、次のような事も書いてある。「鷗外のひ孫で、千葉大学予防医学センター長の森千里教授(59)は、<患者に信頼される医者でなければいけないとの記述最も印象に残った>という。」

 見る技術としての顕微鏡、聞く技術としての聴診器の発見が、臨床医学を格段に進歩させたことは疑いもない。森鷗外の件の文章は、機器に頼るよりも先ずは自らの五官を研ぎ済ませて患者を見よと言っているのだ。森鷗外といえば、臨床医というよりも謹厳な医学者というイメージであった。それも、時代と軍医という立場がしからしめたのかもしれない。もとより森鷗外は、一方では文学の徒(小説家)であったのだから人間観察のほうが本職であった筈だ。違う目線から森鷗外に向き合う手立てになるかもしれない興味深い記事に出会えた。