TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像―(120)大谷藤郎さんとインタビュー「らい予防法の見直しと行政・医学の責任」 1996年3月

(120)大谷藤郎さんとインタビュー「らい予防法の見直しと行政・医学の責任」1996年3月

 「らい予防法廃止の歴史」と言えば、大谷藤郎さんを想い起す。大谷さんは何回か講演をお聞きしたほか、勤務していた医学書院の雑誌「病院」や「公衆衛生」のインタビューでお目にかかった。
 大谷さんは、朴訥とした話し方で謹厳な役人さんと言う印象だった。不覚にもその卓越した理念と業績について、私は知りえていなかった。私がお目にかかったのは、大谷さんが厚生省退官後の藤楓会の時代だと思う。
■らい予防法廃止―1996年■
1996年3月:
 医学書院発行の雑誌「病院」(55巻3号、1996年3月)で、大谷藤郎さん(藤楓協会理事長、国際医療福祉大学理事長)にインタビューした。テーマは「らい予防法の見直しと行政・医学の責任」だ。「らい予防法見直し検討会」の座長を務めたのが大谷さんだった。この折のインタビューに私は参加したと思うのだが、雑誌が手元にないので詳細を確認できない。
 平成7(1995)年12月8日、「らい予防法見直し検討会」が、「ハンセン病は特別な疾患ではない」と予防法の廃止を求める報告書をまとめた。昭和28(1953)年に制定された「らい予防法」から40余年、「旧らい予防法制定」(明治40年、1907年)から数えると90年近くを経て、1995年に「隔離政策」の法律廃止、そして、「らい予防法」が、平成8(1996)年3月に廃止された。
■「らい予防法廃止の歴史」と共に歩む■
 大谷さんは、京都大学医学部を昭和27年に卒業後、滋賀県の保健所、京都府庁に勤務した。その後、1959年に厚生省に入り、1965年には精神衛生法の改正などに携わった。1972年に国立ハンセン病療養所課長に就任すると、ハンセン病入所者の生活環境改善に取り組んだ。1983年に厚生省を退官後も、財団法人藤楓会の理事長としてらい予防法の廃止運動に取り組んだ。
 大谷藤郎著「らい予防法廃止の歴史」(勁草書房、1996年)が手元にある。この本は「らい予防法」の成立から「廃止に向かって」の歴史が詳細にまとめられている。
ハンセン病補償法成立
●2001年5月13日:
 熊本地裁が、国のハンセン病患者の隔離政策を違憲として、国に賠償を命じる判決を下した。これにより元患者に補償金を支払う「ハンセン病補償法」が成立したのは、2001(平成13)年だった。国が控訴を断念して、時の小泉総理が記者会見で、元患者に謝罪したのが記憶に残る。
ハンセン病家族補償法成立―2019年
●2019年11月15日:
 
2019年7月、患者家族に対しても国として責任を認め、時の安倍晋三総理が患者家族に謝罪した。そして、2019年11月15日、元患者家族に最大180万円の補償金が支払われる法律「患者家族補償法」が決まった。
(2019.11.17)


(私の「医人」たちの肖像―〔120〕大谷藤郎さんとインタビュー「らい予防法の見直しと行政・医学の責任」~1996年3月)