TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

どう思いますか 薬が多い!

どう思いますか 薬が多い!」という記事を読んだ(朝日新聞朝刊12 月18日)。この記事に触発されて薬について書く。

 私は薬が好きだ。好きというより薬を飲み慣れてきた。C型火肝炎ウイルスのキャリアであることが判明してからさ、ウルソを20年くらい毎食後3錠づつ飲んできた。ここ4年間にインターフェロンフリーの飲み薬を2015年~2018年まで、3種類何れも12週間つまり36週間(総計9カ月)飲んだ。最後の治療薬マヴィレットを飲み終えた2018年5月23日からは飲む薬が2種類だけとなった。降圧薬(ブロプレス)と糖尿病薬(グリミクロン)を各1錠朝食後に飲むだけである。頗る楽である。
 私が最初のC型肝炎ウィルス治験薬を飲んでいた2015年7月3日に、連れ合いのYさんが小脳出血で倒れた。集中治療室・脳外科病棟そして転院したリハビリテーション病院と合計3か月の入院を経て自宅復帰した。当然ながら自宅に帰ってから6~7種類の薬を飲み続けてきた。小脳は平衡感覚障害・眩暈が後遺症となった。降圧薬も飲んでいた。2年くらい経過してから血圧が70位と低すぎることがあった。眩暈の症状はなくならない。薬の説明書を見ると眩暈の薬の副作用として「めまい」がある。何か違和感を感じた。「最近、血圧が低すぎように思うのですが・・・。眩暈薬の副作用がめまいというのは何なのですか?」と主治医の脳外科医に相談した。血圧は朝晩3回づつ測りエクセルで一覧にして受診の際に持参して提示した。これを見た主治医は、「血圧の薬を減らしましょう。眩暈の薬も効いてないようですから止めてみましょう」とあっさりと対応してくれた。名医である(と思う)。このためYさんも降圧薬1種類と胃腸薬、整腸薬の3種類だけとなった。

 件の新聞記事は以下のような投書が発端だ。重要な指摘なので全文紹介する。
 「薬まだある?」医師から質問を(愛知県の野口恵美子さん・57歳)

 「昨年度、医療機関に払われた医療費概算額は42兆円超、過去最高を更新した一方で、処方された薬が捨てられている話を耳にする。社会保険料が有効に使われていないとしたら悲しい。義母の通院に付き添うと必ず湿布や飲み薬が大量に出て、家のダンボール箱にたまっていた。そこでお願いです。社会保障維持のため、子どもにツケを残さないため、お医者様から「薬はまだありますか」と聞いてください。(10月4日記事=要旨)」

 投書は薬の問題を医療費という経済的側面から指摘している。それは大切な問題的である。ただ問題は処方された薬が正しく飲まれないとすると治療として機能していないことになる。薬処方は期日を限定して計算してなされるのだから、本来なら「まだありますか?」と尋ねるのではなく、「きちんと飲みましたか?」と尋ねて、飲んだ効果がでているかどうかを主治医がフォローすべきであると思う。何種類も処方された薬を正しく飲むことは実は特に高齢者にとっては至難の業である。特に認知症になりかけの高齢者に多種類の薬を処方するときには服薬の管理あるいは世話をする家族がいない場合は処方してはいけないと思う。

 上記の発端の投書について4人の方のコメントが掲載されている。
 「医師も患者も減らす努力必要」というコメントを寄せているのは前川喜平さん(老人保健施設長 東京都・86歳)だ。「医師として高齢者の薬の多剤服用が気になっている。入所時にポリ袋いっぱいの残薬を持参するひとが多い。こんなに多くの薬を飲んで大丈夫なのか、多種類の薬が本当に効いているか、疑問である。・・・健康状態や余命を考えると、実は飲まなくてはいい薬があるのではないか。高齢者も具合が悪くなるたび薬を飲もうという発想をやめられないか。医師も処方する薬を減らせないか。薬が少ない方が介護する家族も楽なのである。そして、医療費の削減にもつながる。」これは、きわめて適切で真っ当な意見である。受診して何も薬がでないと、「薬くらい出してよ」と患者は思ったりする。医師のほうは薬を処方しないと点数がでない(儲からない)から薬を処方することになる。例えば風邪には抗生物質は効かないと言われていても出されると飲むことになる。対応策としては特に65歳以上の高齢者に対しては処方薬の数を制限し、次回受診の折に服薬の記録を家族に対して義務ずけるくらいの対応が必要ではないだろうか。ところで、上記のコメントを寄せた前川さんは私が医学・医療界の記者だった1980年代には慈恵医大教授(小児科)だった方と思う。今回、ネットで調べたら前川喜平さん(硬骨の元文部省官僚)がトップに出てきた。今はこの前川さんが有名人だ。元教授で医師の前川喜平さんは86年歳で現役の老健施設長としてご活躍だ。
 後の三つのコメントは患者の立場(一般市民)からだ。千葉県の後藤政子さん(83歳)は「服用を中止しても体に変化なく」というコメントだ。「長年薬漬けで、時々副作用にも悩まされている。・・・ 飲むのをやめてみたが、何ら変わらなかった。・・・何となく気づいたのは、医師と病院と薬局は互いに支えあって経営が成り立っているのではということだ。それを助けているのが病人だと思う。」神奈川県の渡辺恵さん(54歳)は「国の財源を捨てるようで苦しい」というタイトル。同居していなかった母親が肺がんでなくなったあと残された薬がダンボール箱一つに及んだことに対しての思いを述べている。これは、心苦しいと思わなくともいいことだ。むしろ薬を出したままフォロ仕切れなかった医療機関に責任があると思う。最後に「自己負担少ないほどもらいがち」とコメントしているのは薬剤師の伊藤和子さん(東京都・60歳)だ。「日頃の業務で感じるのは、医師による薬の処方のしすぎと患者側も安易にもらいすぎている現状です。・・・。自己負担割合の低い高齢者はちょっとしたことで受診し、多くの薬をもらいがち。・・・義母がホームに入っていますが、漫然と多剤を処方され、認知症を招きかねないのではとも感じます。チェック機構もありません。・・・これでは医療費抑制など不可能ではないでしょうか。適切な処方に加え、患者側も薬に頼らない健康維持を考えていく必要があるのではないかと思います。」これも適切なコメントである。渡部さんは薬剤師の立場から、義母の多剤処方に対して異義を唱えたのだろうか? それが必要だろう。私の義母も老人ホームに入ってもらう前に連れ合い(私の妻)が、薬の種類が余りに多いのに気がつき、受診の際に主治医に申し出て処方をへ減らしてもらったことがある。

 本日は「薬が多い!」という興味深い記事に触発されて自らを振り返ってみた。私は病院が大好き人間なので考えさせられことが多かった。薬も飲まないに越したことはない。病院も行かなくてすめばそれが一番いい。こんな経験もした。私の義母は入所した老人ホームから緊急入院した。その折に救急車の中で心肺停止状態となった。「過剰な救命措置はしなくてもよい」との母の生前意思を私たち家族が伝えたので、病院に到着時には既にDOA(到着時死亡)であったと思う。私たち家族が到着するとストレッチャー上で点滴に繋がれ母は横たわっていた。到着後さらに数十分してから死亡宣告がなされた。さらに驚いたのは後日に送られてきた病院の請求書の血液検査項目にHIV検査が入っていたことだ。DOA患者に血液検査が必要とは思えない。このことに抗議をせずに私たちは医療費を支払ってしまった。ことほど左様に医療に対して患者は無自覚で弱い。
 とまれ、私の糖尿病薬はたぶん飲まないといけないのだろう。高血糖の指標とされるヘモグロビンHbA1cの指標が米国にならって少し高くてもよくなったのはつい数年前のことだ。なるべく薬に頼らないように自覚していきたいと改めて思った。良い記事を読んだ。