TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

長距離ランナーの孤独

 恒例の箱根駅伝が今年も2~3日にあった。青山学院大学が昨年の二位からまた優勝に返り咲いた。箱根駅伝は随分と歴史がながい。

 私が幼少期を過ごした頃には、青森東京駅伝という大会があった。これは県別対抗であったと記憶している。今年も群馬県で開かれた実業団のニューイヤーズ駅伝の前身かもしれない。私の育った群馬県の平野部は雪はあまり降らないが空っ風が吹いて冬は非常に寒い。中学高校時代も冬場の体育の授業は走ることマラソンの練習が多かった。走ることで暖かくなるからだ。安上がりの体力増進方法だったのだろう。中学時代にも地域対応の駅伝大会があった。それに備えて学校から帰宅してから夕方に地域ごとに集まって駅伝に備えて練習を重ねた。運動神経があまりよくなかった私は短距離走は苦手で長距離走を好んだ。長い距離であれば持久力さえ鍛えていけばよい結果を出せたからである。中学2年~3年にかけて陸上部に入部して駅伝選手を目指した。中学3年の1月か2月頃に一度だけ駅伝大会に選手として出場した。それも上位選手のグループではなく二軍のグループであった。それでも所属中学の選手として学外の大会に出場したのは誇るべき体験であった。中学二年くらいから自我が目覚めていたのである。学科の成績は文句なく優秀であったが体育と美術はどうしても普通以下の成績しか残せなかったのである。それがこの駅伝大会出場により文句なしに評価が上がった。

 さて、表題の「長距離ランナーの孤独」は英国の作家であるシリトー原作の映画のタイトルである。実はこの映画は見ていない。シリトーの原作も購入はしたが読了はしていない。今回インターネットで調べるて粗筋を知った。孤独な少年の反抗の物語である。元来、長距離走は孤独との闘いである。短距離走とくに100メートル走などは、無呼吸で走り抜けるので一瞬で終わる。短距離走はむしろスタート前の意識の集中に孤独と緊張を感じるのだろう。長距離走れもマラソンや駅伝競走はひとりで数十キロメートルも走るのだから呼吸が重要である。そして走りながら頭には諸々が浮かんでくるであろう。マラソンはもし途中で走れなくなっても自己責任ですむが、駅伝走の場合は走れなくなれば後続の選手の機会を奪うことになる。それは過酷な戦いであるに違いない。

 箱根駅伝に触発されて「長距離ランナーの孤独」に触れた。原作のタイトルは、「The Loneliness of the Long Distance Runnner (「長距離走者の孤独」)」である。アラン・シリトーが1959年に出版した小説だ。