TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

認知症になっても、感情のゆたかさは色褪せない

 意外な紙面で長谷川和夫さん(90歳)の登場する記事を目にした。「長谷川式認知症スケール」の開発者で知られる長谷川さん(聖マリアンナ医大名誉教授)が自ら認知症に罹患したことはこのブログで既に紹介した。昨日送られてきた三井住友信託銀行の広報雑誌「発見上手」に、俳優の佐藤浩市さんが長谷川和夫さんと対談する形で標題の対談記事が挿入されているのを読んだ。とても興味を惹いたので引用しながら紹介して記憶に留めたい。佐藤浩市さんは、俳優であった三国連太郎の息子さんである。三国連太郎群馬県出身なので好きな役者であった。

 佐藤: そんな先生ご自身が、認知症を発症されたとのことですが。

 長谷川: 嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症といって、自分の体験があやふやになった。例えば出かける時「あれ、鍵かけたかな」って戻って「あ、大丈夫だ」って安心して行く。正常な人はそれで済むけれども、そのあやふやがひどくなると、何回もそれを繰り返す。そいう特徴の症状が起こってきたんだね。

 佐藤: 医師の自分と、患者の自分。両方を経験するのはどういう感覚ですか?

 長谷川: 行ったり来たりを経験して自分で思ったのは、認知症というのは連続しているんだと。朝はピカピカ、昼を過ぎると疲れてきて夕方は認知症ぽくなる、でも寝て朝起きるとピカピカ、その繰り返し。ピカピカな自分とダメな自分はつながっているし、認知症を専門にしていた僕ですらなるんだから、歳をとれば誰でもなる。そういうふうに神様はつくってくれているんじゃないかと思うようになった。・・・

(上記のパラグラフは引用)

 とても興味を惹くのは、長谷川さんが「認知症というのは連続しているんだと。」と言っているところである。たしか、前に読んだ別の、記事でも同じことを言っていた。認知症になったとしても、何もかも分からなくなって別の人になってしまうのではない!ということだ。「まだら呆け」という言い方(言葉)を随分以前か何かで読んだことがある。ところどころが分からなくなる、と言うことなのだろう。

 上に引いた長谷川さんの経験にある朝出かけるまえの「あれ、鍵かけたかな?」というのは73歳の私もよく経験する。出かける前には「ガス消した」「風呂のまど閉めた」「玄関のカギかけた」と、口に出してかつ指差し確認を必要と感じている。

 

 佐藤: 毎日を楽しく過ごすために心がけていることは何ですか?

 長谷川: 気を付けていることは、できるだけ規則正しい生活をすること。それから、家内と二人暮らしなんですけど、なるべくケンカをしないようにする。どうしても、家内は強くて怖いですからね(笑)。・・・・・

 上記の記事には、長谷川さんの写真も載っていた。90歳とは思えないくらいキチンとした表情だ。齢をとったらやはり少し身の回りをキチンとした方がいいね、と我が身を振り返った。