TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「しらふで生きる」を読む―「自分はアホ」と思うことの効用、について

 2日間禁酒した。そのあと、昨日は21時の夕食時に缶ビール350㏄を一缶飲んだ。本日は昼前に先輩の一周忌にお参りをして早めの昼食をいただいた折に缶ビール350㏄2缶を頂戴した。つまり24時間に缶ビール3缶を飲んだことになる。この後で、町田康「しらふで生きる」を読み進めている。いよいよ佳境に入ってきた。以下、引用する。

 「お釈迦さんやキリストさんを普通の人間とすれば自分は普通以下のアホであるし、近所の無学のおっさんやコメンテーターを普通の人間とすれば自分は普通以上のかしこであるが、その設定は勝手次第、自分の匙加減だが、酒をやめようと思うなら自分は普通以下のアホと思うに如くはない。」
 上に引いたのは、「自分はアホ」と思うことの効用の章の冒頭の文章である。かなり固い表現であるが、言っていることはわかる。もっと、わかりやすいところをひく。

 「もう一度言う。自分を普通以下のアホ、と思えば、

  1.少々のことで腹を立てなくなる。
  という、メリットがあるのである。
  さあ、次ににはどんなメリットがあるのだろうか。次に、

  2.学びにおいて多くの果実を手にすることができる。」

 町田さんは、わかりやす表現でいっている。これは、もう少し固い言いかたに表現すると、謙虚の効用ということなのだろう。この章は、次のような文章で結ばれている。

 「このように、自分を普通以下のアホ、と自己認識することは、自分を普通以上のかしこ、と認識することから生じる虚無・退廃から自らを救い、より多くの発見と驚き、そして学びをもたらすのである。」

 町田さんは、かなりわかりやすい卑近なというか、若干ふざけたような比喩で言っているのだが、要は自分はアホと認識すればなんでも素直に耳を傾けで吸収できるでしょう、と言っているのだと思う。それと「お酒を止める効用」については、ひとは初めから幸福にはなれない、生きていくことはもともと幸せなことではないのだらか、お酒を飲んで幸せな気分になろうなんて考えないほうがいいよ、と言うのだと想像する。結論は読んでいくうちに開陳されるだろう。

 さて、ここまで読んできて、「私が目から鱗が落ちる」と感じたのは以下のことだ。

  最近私はかなり気分的に落ち込んでいて、自分の結婚生活とこれまでの人生は何だったんだと思っていた。しかし、考えてみると、いや考えなくても、大学教育も受けさせてもらって、何のかのと言っても本が好きだったので、選んだ出版社で42年間働いて退職して9年が過ぎた。これが何で「幸せでない」と言えるのだ。幸せ過ぎて罰が当たるくらいだろう。町田さんの言うように「自分を普通以下のアホと認識することは、より多くの発見と驚きそして学びをもたらすのかもしれない。酒なんか飲んでくだを巻いているよりも楽しいことがでてくる。そいう論理展開のようだ。(今日はここまで)