TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

新聞を読んで―「悩みのるつぼ」から

  近頃の若い人たちは新聞をとっていない方が多い。15年前に医学系出版社に勤務していたときに当時30歳台の開業医師が新聞をとっていないと聞いたので驚いたことがある。新聞は読まなくともインターネットで日々のニュースは充分に足りるというのである。私のこどもたち(30歳後半から40歳前半)も新聞を購読していない。これも理解しがたい。新聞はニュース・ペーパーのことだが、ニュースだけでなくて、文化・社会状況のコラムや記事が結構面白くて読むと刺激され考える糧になることが多い。
 朝日新聞の土曜日版に、「悩みのるつぼ」という連載記事がある。この欄の回答者のひとりにかつて車谷長吉さんがおられた。吃音をもった作家の車谷さんの回答がユニークで身につまされることが多々あった。車谷さんは同年代の作家だが惜しくも数年前に喉に食物を詰まらせてお亡くなりになった。さて、今日のこの欄は「亡父の日記を読んでよいか」(相談者 女性 60代)途いうものだ。

 「父の遺品を整理していたところ、書棚の奥からひもで束ねた何冊もの大学ノートが出てきました。過去何年にもわたる父の日記でした。・・・どのように扱っていいのか思案中です。中は見ずに葬り去ったほうがいいのか、私が読んでもよいものなのか・・・」

 この相談の回答者は(相談者の求めに応じて)政治学者のかん尚中さんである。かんさんは政治学者なのだが、むしろ作家という方が相応しい。その答えはこうである。
 「答えは、一筋縄ではいかないですが、私が勧めたいのは、お父さんの大学ノートを将来、あなたが亡くなる時に一緒に焼いてくれるように信頼できる人に予め頼んでおくことです。・・・どうして、私がそう思うかといえば、日記はお父さん以外の読み手を想定したものではないはずで、たとえそれは血を分けた息子や娘であっても当てはまるからです。故人であっても、プライバシ―はあるはずです。死者の尊厳を大切にする意味でも、そうした方がいいと思うのです。・・・・お父さんのこと、そっとしておいてあげましょう。あなたの知っているお父さんだけで十分なはずです。」

 とても真っ当な回答なので驚いたが妥当なものだろう。車谷さんならもっと斜めからの回答をしただろう。ところで、私は2018年8月からブログ作成を始めた。このブログは私の「日記」というよりも「日録」と考えている。公開なので当然よまれることを想定している。むしろ実は私の子どもたち孫たちに読んで欲しいとさえ思っている。考えてみれば、自分の父親がどんなことを考えて生きてきたのかを私は知らないのだ。「親というものは子どもの踏み台になればいい」という意味のことを文章に書いたこともある。こんなことを自分の親にいったのだから、自らも自分の子どもたちの踏み台であってよいと思って働いてきた。子等はこんな踏み台はもういいよと言うかもしれない。