TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「アルツバーシェフ名作集」と翻訳者の昇隆一と曙夢さんのこと

 「アルツバーシェフ名作集」を私の本棚より抜き出した。この本も40年くらい前に購入して読まずに来た。「サーニン」を読もうとして購入したのであろう。出版社は、「青蛾書房」という神田の出版社だ。ロシア文学者の昇隆一さんの翻訳である。昇隆一さんは昇曙夢というロシア文学者の長男である。昭和の時代のロシア文学の世界では親子でロシア文学あるいはロシア語の翻訳者になった方が散見される。中村白葉と中村融もそうである。

 さて、アルツバーシェフといえば、「サーニン」が代表作であるので、遅まきながら「サーニン」を読み始めた。何をいまさらサーニンということになろう。時代遅れだし、さーニンといえば、一時代の前の青春の文学なのであろう。今日は、サーニンではなくて昇曙夢さんに触れたい。曙夢(あけぼのゆめ)なんてきっとペンネームだろうと想像していたがその通りであった。ウキペディアで次のような説明を目にした。


 1978年7月17日~1958年11月22日。正教会の信徒で、ニコライ・カサ―トキンの門下生として知られる。奄美群島加計呂麻島実久村芝生まれで、本名は直隆だという。鹿児島正教会に通い洗礼を受けている。1896年に東京の正教神学校に入学している。1903年に同学校を卒業。在学中から、『ゴーゴリ』を執筆している。日ロ戦争の際には、ロシア語のできる神学校出身者として、収容所のロシア人捕虜を慰問したという。1912年には、陸軍幼年学校教授嘱託をしている。1915年には早稲田大学講師、1916年には陸軍士官学校教授をしている。晩年の1946年には、ニコライ・ロシア語学院の院長をしている。また、アメリ支配下となった故郷奄美群島の本土復帰運動に指導者として参加している。実に面白い経歴である。日本のロシア文学者の系譜に露西亜正教の方がおられることは知らなかった。私がお世話になった「本郷ロシア語クールス」を主催した伊集院俊隆さんは、陸軍幼年学校出身で後に東京外語大後大学ロシア科卒だから、もしかしたら昇曙夢との接点があったのかもしれない。
 私がこれから読もうとしている「アルツバーシェフ名作集」は昇隆一さんの翻訳である。あとがきに次のような記載があった。
 「本書に収録した六つの作品のうち最初の三篇『サーニン』『妻』『恐怖』は、私の亡父(曙夢)がかって訳したものである。・・・・・私は、父の訳文の中で、壁がこわれたような場所や、壁の色がはげたところを特に注意して修正したわけである。・・・」

 昇曙夢さんのことを調べていくと更に新宿中村屋相馬黒光さんの話も出てきた。相馬さんもロシア語の話せるひとで、その伝でロシア人のエロシェンコなどを保護していたらしい。面白い話がいろいろあるのだと知った。「相馬黒光全集」も書棚にある筈なので読んでみたい。今日は、私の本棚からテーマを見つけて私のブログとした。