TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像―(82)太田成男さんと「PCRの原理とその幅広い応用」 ~1990年2月

(82)太田成男さんと「PCRの原理とその幅広い応用」~1990年2月

 

 新型コロナウイルス感染を確認する検査方法としてのPCRが脚光を浴びている。PCR(Polymerase Chain Reaction)が、米国のキャリー・マリス(Kary Mullis)により、1985年に開発されたことは既に触れた。
 PCRは、分子生物学研究にとって必須のツールとなった。PCRこそが分子遺伝学、遺伝子工学の進展に大きな役割を担ったと言っても過言ではないだろう。私の「医人」たちの肖像シリーズにおいて、香川靖雄さんと自治医科大学で開催された「生化学教育国際ワークショップ」を先にとりあげた。この「ワークショップ」(1986年5月7~8日)の取材で、自治医大生化学教室を訪問した。当時、自治医大生化学教室の助教授が太田成男さんだった。この折に太田さんとの知己をえた。
PCRの原理とその幅広い応用■
●1990年2月:

 「今年の単語」(word of the year)にPCRが選ばれたことがあった。このニュースに接して、私は当時担当していた「医学界新聞」の記事にした。さらに、これだけ話題性ある「PCR」なら詳しく紹介する価値があるだろうと考えた。そこで、太田成男さんにPCRについて解説の執筆を依頼した。「PCR―原理とその幅広い応用」というタイトルで、太田さんは執筆して下さった。この原稿は、医学界新聞・第1886号(1990年2月頃)に掲載した。掲載紙が手元にないので詳細に触れられないが、タイムリーな記事であったと思う。
PCRの開発でノーベル化学賞に決定―マリス博士■
●1993年10月:

 三年後、1993年10月、PCR開発者のキャリー・マリスは、PCR発明の業績でノーベル化学賞に輝いた。1993年ノーベル化学賞は、マリスとスミス博士の二人受賞であった。
 以下、医学界新聞・第2068号(1993年11月15日付)から記事を再掲する。
 「1993年のノーベル化学賞は、米国のサイトロニクス社役員のKary M. Mullis、カナダのブリティシュ・コロンビア大教授のMichael Smithの両博士に贈られることが、さる10月13日、スウェーデンの王立科学アカデミーから発表された。両博士は、DNA化学における革新的技術開発への貢献が評価された。Mullis博士は、1985年にポリメラーゼチェイン・リアクション(PCR)法を開発した。PCR法は、極微量のDNAから特定のDNA塩基配列を簡便に、かつ短時間に大量に増幅させる技術。それまで、膨大な時間と労力を必要とした遺伝子増幅の捜査に革命をもたらした。」
 さらに、マリス博士は、ノーベル賞に先立ち、1993年4月にPCR開発の業績で、第9回日本国際賞(Japan Prize)を受賞している。日本国際賞では、賞状・賞牌に加え、賞金5000万円が授与された。ノーベル化学賞は二人受賞であったので、賞金9000万円は折半であった。マリス博士は、1944年の米国生まれで、若干48歳であった。名誉と富を一気に手に入れたのだ。若いだけでなく、LSDの使用経験を公言し、かつ現役のサーファーでもあり、破天荒な科学者であった。
 1998年に自伝的な科学的エッセイ“Dancing Naked in the Mind Field”を出版した。この本は分子生物学者で科学ジャーナリストともいえる福岡伸一博士の邦訳『マリス博士の奇想天外な人生』(2002年、早川書房)で手にとることができる。自由奔放で赤裸々なマリス博士の人柄とPCR開発の現場と経緯を、私たちは余すことなく知ることができる。キャリー・マリスさんは、2019年8月7日、カリフォルニア州ニューポート・ビーチで逝去された。
 太田さんとは、その後に仕事上の接点はなかった。太田さんは自治医科大学助教授から、1994年に日本医科大学老人病研究所教授(その後は細胞生物学分野大学院教授)になられた。今では名誉教授になられていると思う。
 本日は、PCRを契機に、昔の想いでから太田成男さんに執筆いただいた「PCRの原理とその幅広い応用」に触れた。
(2020.5.9)


(私の「医人」たちの肖像―〔82〕太田成男さんと「PCRの原理とその幅広い応用」~1990年2月