TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像―(135)佐野 豊さんと大著『神経科学 形態学的基礎』について〜2006年12月

(135)私の「医人」たちの肖像―佐野 豊さんと大著「神経科学 形態学的基礎」について〜2006年12月

 「学問の静かに雪の降るは好き(みづほ)」

 上掲は元新潟大学脳神経外科教授の中田瑞穂さん(1893年4月24日~1975年8月18日)の俳句である。「みづほ」は中田瑞穂さんの俳号である。中田さんは日本の脳外科医の草分けで、新潟大学脳研究所の設立と発展に貢献した。一方、ホトトギス派の俳人でもあり高浜虚子と親交があったのだという。

 私が医学・医療の出版社で勤務を開始した当初の10年間(1971年~1981)は、新潟大学信州大学の両医学部が私の担当であった。入社直後に洋書部という部署に配属され、海外から医学関係の書籍や雑誌を輸入して日本各地の医学書専門展に卸しをする業務に携わった。具体的には、考古堂(新潟)、明倫堂(松本)が私の担当書店だった。考古堂の営業マン風間さんに連れられ新潟大学の教授室に挨拶周りに訪問したことがある。しかし、脳神経科教授は二代目の植木孝明さんに代わられていた。残念ながら中田瑞穂さんにお目にかかることができなかった。
 本日は、中田さんの俳句「学問の・・・」に触れた。冒頭で紹介した中田さんの俳句の出来映えの評価はわからない。ただ、脳外科医が詠んだ句と聞くと、静かに雪の降る夜に分厚い専門書を紐解いている中田さんの姿が目に浮かんでくるような気がする。

神経解剖学の金字塔―カハール■

 スペイン風邪に触発されてスペインの偉大な神経解剖学者カハールに、先日(6月16日)触れた。カハールの業績は、神経学における金字塔であり、多くの日本人の神経学者がカハールに言及している。中田さんのお弟子さんの一人生田房弘さん(新潟大学・脳研究所、神経病理学)は、カハールの生まれ活躍したスペインを訪れ貴重な紀行文を書いている。生田さんと中田瑞穂さんのことには是非とも別途触れたい。
 神経解剖学者の佐野豊さんは、カハールの研究者であった。実は佐野さんとは直接の面識がない。いまから三十年前、1991(平成3)年4月5日~7日にかけて、京都市で第23回日本医学会総会が開かれた。テーマは「転換期に立つ医学と医療―創造と調和と信頼―」であった。会頭が岡本道雄(元京都大学総長)、副会頭が佐野晴洋(滋賀医科大学学長)、佐野豊(前京都府立医科大学学長)、準備委員長が井村裕夫(京都大学医学部長)という陣容であった。医学会総会の開会式では、当然ながら副会頭の佐野豊さんをお見かけしている。
 神経解剖学が専門の佐野 豊さん(元京都府立大学教授・学長)も、まさに「学問の人」である。佐野さんの大著『神経科学 形態学的基礎』は、佐野さんが学長を止めてからライフワークとして執筆を始めたもののようだ。

神経科学 形態学的基礎 間脳(2)視床上部 視床下域 視覚系」■
●2006年12月:

 サンティアゴ・ラモン・カハール(1852年5月1日~1934年10月17日)は、スペインの神経解剖学者だ。私は医学の専門家でないので詳細は解説できないが、以下、佐野さんの本によってカハールの業績を概括したい。

視覚系の研究史―(8)Cajalの論文とその引用■

 佐野さんは上記の本の「7.視覚系-網膜」の項目で、次のようにカハールに言及している。
 「Golgi 渡銀法を用いて神経組織全般にわたって膨大な業績を残し、ニューロン学説を確立させたCajalは、網膜の研究において輝かしいい論文を数多く発表した。彼の業績は今日においても網膜の研究の重要な基礎となっている。」
 「8.Cajalの論文とその引用」の項目では次のように書かれている。「Ramon  y Cajal は、ニューロンの独立性を立証し、この学説に基づいて中枢神経系の構造と機能を解明するという、彼の生涯の研究命題を解決する糸口として、興奮を求心性に伝えることが明らかな感覚神経の追及を最優先テーマに選んだと思われる。したがってCajalにとって、彼の初期の研究の中で網膜の研究はもっとも大きな比重をもっていた。1888年から1892年にかけて、彼は網膜について次のような業績を次々に発表していた。」

学問に国境はないというが、言語の壁は大きかったようだ。カハールのスペイン語で書いた論文は、ほとんど海外の研究者に読まれなかったので、1892年に、La Cellule(9: 121-246 ,1892 )というフランスの雑誌にフランス語で論文を発表した。この論文が、さっそく大きな反響を呼び、網膜の研究者にとってバイブルのような存在になった。カハ―ㇽの論文は、フランス語からドイツ語訳もでた。佐野さんの本に次のように書かれている。
 「神経系の全域にわたって重要な形態学的研究業績を残したCajalの論文を引用するにあたって、彼のスペイン語で記された原著に直接ふれるのが難しく、多くの研究者は後年、フランス語、ドイツ語および英語に翻訳された業績を引用する。その場合、最近のほとんどの研究者は無頓着に翻訳書の出版年を原著の発表年のごとく記述するので誤りが起こる。とくに、文献を孫引きする研究者たちは、Cajalの死後に出版された著書をオリジナル論文発行年として、研究の歴史的考察を行ったりするので、言語道断な誤謬が生じている。」 

 門外漢の私は臆面もなく長い引用をした。佐野さんの本は素人の私にも読みやすく、当時のカハールの置かれた環境がよくわかる。

医学書院から出版■

 「神経科学 形態学的基礎」は、2006年12月に東京・本郷の医学書院から出された。この大著は、もともとは京都の出版社「金鳳堂」から出版され始めた。1巻が千ページ近く、価格も2万円を越えており、販売部数も限られており続編の出版が危ぶまれていた。そこで、どの筋からは知らないが続巻の出版を東京の出版社・医学書院へ持ち込まれた。医学書院は採算を度外視して続巻の慣行に踏み切った。この英断は元社員の一人として誇らしい。出版とは本来が「志の業」であるからだ。
 同書の「序」に寄れば、この本は第四巻にあたる。佐野さんは、こう書いている。
 「本書を執筆しはじめてすでに15年が経過している。大脳基底核群、大脳皮質そして小脳までさらに筆を走らせることができればと心に思うが、執筆は牛歩のごとき歩み、完結までの距離は果てしなく長い。」
 佐野さんの執筆開始時期を逆算すると、1991年になる。佐野さんは、医学会総会副会頭の大役を終えられた頃から、神経解剖学のライフワークの執筆を開始したのだろう。私が医学書院を退職した2011年には、まだ続巻は刊行されていなかった。その後、さらに9年が経過しているので、佐野さんのこの大著は完結しているのだろうか。追って調べてみたいと思う。

 今日は、「新型コロナウイルス」、「オルテガ」、「カハール」、「中田瑞穂」、「生田房弘」、そして再び「カハール」という一連の流れの中で佐野 豊さんに触れた。佐野さんは多分90歳を越えてご健在だと思うのだが。
(2020.6.19)

〈付記〉佐野豊さんは、2023年7月23日、呼吸不全のため京都市内の病で逝去された。97歳と訃報に出ていた。佐野さんのご冥福をお祈りする。(2023.8.8)

( 私の「医人」たちの肖像―〔135〕佐野 豊さんと大著「神経科学 形態学的基礎」について〜 2006年12月)