TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

遠藤周作さんの未発表小説みつかる

 今から50年くらい前に20歳台のときに遠藤周作の本が好きでたくさん読んだ。遠藤周作は、「深い河」「白い人黄色い人」とか、隠れキリシタンや自らの留学体験に基づいた人の差別の問題とかの本格派の小説が評価されていた。一方で、「狐狸庵閑話(これはあかんわ」と言ったような軽妙洒脱なエッセーと、「おバカさん」のような中間小説があった。この「おバカさん」も実はドストエフスキーの「白痴」のパロディーであり、おバカさんは本当は、真実によい人を描いている、との見方もあるようだ。遠藤さんは一時、柿生の里に住んでいて、新宿に仕事部屋を持っていて、通って仕事をしている(小説を書いている)とエッセーで書いていた。
 ■遠藤周作にあこがれて、柿生に転居した■
 
私は遠藤さんのエッセーを読んで自分が転居先を探すときに、小田急柿生駅の近くに土地を買い求めた。遠藤さんは、狸や狐の住んでいるような田舎を柿生の里と言っていたが、実は隣の玉川学園に住んでいたようだ。柿生、鶴川、玉川学園は小田急線では町田の手前の山里のなかだ。かの白洲次郎が棲んでいたのが鶴川の駅から歩いて5分くらいのところで!今も「武相荘」が記念館として娘さんによって管理されており現存している。遠藤さんは若い頃のエッセーに、ひとり息子が生まれたときに、芥川龍之介にあこがれていたので龍之介という名前を付けた、と書いていた。公私ともに面白いひとだと思う。遠藤さんの一人息子の遠藤龍之介さんはフジテレビの社員になったが、昨年(2019年)からフジテレビの社長になっている。遠藤さんは、30年くらい前に日本ペンクラブの会長をしていた。忙しい作家生活のなかでPENクラブ会長まで引き受けたのは、やはり言論の自由や差別の排除とか、人間として守らなくてはいけない筋を貫いていたのだと思う。遠藤さんのお母さんは芸大出身のバイオリニストであった。このことは遠藤さんがエッセーでもよく書いていた。優秀な兄と落ちこぼれで浪人して漸く入ったのは慶応大学の文学部だった。離婚で母親のほうに遠藤さんは引取られていたが、学費を出していたのは父親で、慶應と言えば医学部と思っていたので父親をだまして文学部に入ったということを書いていた。遠藤さんには他にも縁がある。柿生の里に引っ越して山の会のメンバーにんなった。そこで知り合った和泉さんという方のご主人が遠藤周作さんの従兄弟であった。この和泉さんは痩身な方で、どことなく遠藤周作さんに似ている。この和泉さんが私の住む川崎市麻生区はるひ野地域で土地を捜していると聞いた。ちょうど家の近くで土地売りの看板がでていたのでそのことを教えてあげた。こんなことで今では和泉さんはいまで私の家の2軒隣に住んでいる。
 遠藤周作『影に対して』がみつかった■
 遠藤周作さんの未発表小説が、長崎市遠藤周作文学館で確認されたという。遠藤周作文学館は、2015年6月に九州にドライブ旅行した折に訪問したことは既にこのブログで触れた。今回みつかったのは、遠藤家から寄託された約3万点の資料から、学芸員の川崎友理子さん(27歳)が見つけたのだという。見つかったのは、原稿用紙の裏につづられた自筆の草稿2枚と、長年秘書を務めた女性による清書原稿104枚だという。
 小説家になる夢をあきらめ、探偵小説の翻訳で妻子を養う男・勝呂が主人公。w幼い頃に離別した亡き母の知人を訪ね足跡をたどる。バイオリンの演奏に命を捧げる母の生き方に共鳴しつつ、平凡な生活に埋没する自身に苦悩する姿が描かれている、という。この原稿は、遺族の了承を得て、7月1日から文学館で展示される。全文は、7月10日に発売の「三田文学」夏季号に掲載されるという。買って読んでみたいな。