TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

歌人の岡井 隆さんが7月10日に亡くなった

 歌人岡井隆さん(92歳)が7月10日に亡くなった。同じ日に、拉致被害者の一人で2002年に帰国した地村保志さんの父親の地村保さん(93歳)も逝去された。私は歌詠みではないし岡井さんのよき読者でもないのだが、塚本邦雄と共に岡井隆さんというと忘れがたき歌人である。岡井さんは内科医でもあった。その波乱万丈ともいえる凄い生き方には感銘の域を超えるものがある。そこで記憶と記録のために今日のブログに岡井さんのことを書いておきたい。

 岡井さんは、1928年名古屋市の生まれで、お父上もアララギ派歌人であり日本陶器(現ノリタケ)の技術者であったという。やはり「蛙の子で蛙」であったのだ。1946年に「アララギ」に入会し、慶應義塾大学医学部卒業後には、内科医として豊橋などの病院に勤務する傍ら歌を詠んだ。50歳代の半ばから、塚本邦雄寺山修司と共に前衛短歌運動を展開する。60年安保闘争といった社会の動きを実験的な短歌に詠んだ。それからが凄い。1970年に医師としての地位や歌壇の名声を棄てて20歳も若い女性と九州に逃避した。この辺のところは何かで読んだことがある。たしか件の女生とは別れたのではなかったろうか? 5年間の沈黙を破って歌壇に復帰した。その後の活躍は本やインターネットに載っているので履歴を見るのはここまでにする。

 上記の記述は、朝日新聞の訃報欄(2020年7月12日)ほかを参考にまとめた。同じ欄に歌人永田和宏さんがコメントしていた。
 <政治的なことも巧みな比喩で表現し、前衛短歌運動の一番の立役者。それまで、「私」と言えば作者をさしたが、その縛りから「私」を解放し、暗喩や口語文体駆使して表現方法を広げ、一つの時代を作った.。>

 上の訃報記事を読んだ2日後に、永田和宏さんが「岡井隆さんを悼む―<私>の解放 前衛短歌で」という、追悼文を朝日新聞朝刊(2020年7月14日)に寄稿していた。

 「通用門いでて岡井隆氏が おもむろにわれにもどる 身震い」

 <岡井さんは歌人であり、かつ医師でもあった。二つの道を貫くは容易ではない。夜、大学の通用門を出る。医師としての「岡井隆氏」が歌人としての「われにもどる」ぞという身震いなのであろう。これからが本当の「われ」なのだという思いが強い。>

 永田さんは歌人であるが、一方では細胞生物学者でもある。永田ささんは次のように書いている。<岡井さんの苦しみは、また私の苦しみでもあった。私も研究者と歌人の両立に悩み続けてきたからである。・・・・岡井隆という歌人と、ある時代を共有できたことを、幸せなことであったと思うのである。>

 私の記憶と記録のために多くの無断引用をした。私は永田さんが東京での会社勤務を止めて、大学に戻り研究者になられた頃にお目にかかったことがる。永田さんが選者の一人の今の「朝日歌壇」を熱心に読んでいる。