TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『漂流者の生き方―五木寛之×姜尚中』という本が出た!

 『漂流者の生き方―五木寛之×姜尚中』(東京書籍)という本の広告を見つけた。近いうちに入手して読んでみたい。
 タイトル「漂流者の生き方」は編集者がつけたのであろうが、もともと漂流者(デラシネ)は、若い頃の五木さんのキーワードだった。デラシネはフランス語で、字義は「根無し草」から転じて、「故郷や祖国から切り離された人」、の意である。若き日の五木さんは、自らをデラシネと感じながらロシアへと旅立った。在日韓国人として育った姜尚中さんは、日本で居所のない「根無し草」感を覚えながら過ごしてきたのかもしれない。これは勝手な私の想像である。本を読む前から本の中身を想像してみたい。

 「見えない時代をどう生きいるのか?―希望は必ずある!! 五木寛之姜尚中が初めてともに向き合い、ともに生き方を模索した―魂と魂の対話集。衝撃の刊行!」というのが、広告のかキャッチフレーズである。小項目は、「鬱の時代」「見えない戦争」「日本人の限界」「ヘイトスピーチ」「格差社会の壁」「居場所を失った者」「震災と災害」となっている。この本は、コロナウイルス禍のなかで、漠然とした不安に苛まれる私たちに少しの勇気を与え、道しるべとなってくれるのではないかと思う。
 五木寛之さんのどちらかというと「他力本願」の主張がすきで、彼の小説やエッセイを読んできた。『大河の一滴』については、今は時の人ともいうべき旬の書き手となった佐藤優(作家・元外務省主任分析官)が、『文藝春秋』誌で連載している「ベストセラーで読む近現代史」の8月号で、触れているのを興味深く読んだ。

<私は人間の価値というものを、これまでのように、その人間が人と生まれて努力したりがんばったりしてどれだけのことを成し遂げたか―そいう足し算、引き算をして、その人間たちに成功した人生、ほどほどの一生、あるいは失敗した駄目な生涯、というふうに、区分けすることに疑問をもつようになりました。人間の一生というものはそれぞれが、かけがえのない一生なのであって、それに松とか竹とか梅とかランクをつけるのをまちがっているのではない。>
 佐藤優さんは、鈴木宗男事件に連座し、東京拘置所で512日間の拘留を終えて、埼玉与野駅そばの母の許に身を寄せている2003年末に『大河の一滴』の上に引いた文章を読んだのだという。ラスプーチンの異名をもった豪胆な容貌の佐藤さんにして、こんなに穏やかなつつましい時代があったのだと驚いた。人を外見で判断してはいけない。誰しもが慎ましやかに生きているところがよいと思う。

 上記で紹介した件の本は実際に読んでからまた改めて触れたい。