TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『何のために生きるのか―五木寛之・稲森和夫』という本を読んで思うこと

 『何のために生きるのか―五木寛之・稲森和夫』という本を稲城図書館で見つけて借りてきた。この本は、平成17年11月に、至知出版社から刊行されている。稲盛さんも五木さんも共に昭和7年生まれであることを知った。ということは、昭和22年生まれの私よりも15歳年長ということになる。これは対談から単行本に設えたものだ。発行の一年くらい前の平成16年(2004年)頃に対談はおこなれたものと推測できる。ということは、稲盛さんも、五木さんも70歳の少し前くらいのことだろう。京セラやKDDIを創った経営者の稲盛さん、著名な作家の五木さんと私とは比べるべくもないが、このお二人が現在の私と同じ年齢(70歳ころ)にどんなことを考えていたのか興味深く読んだ。裨益することも多かったので、少し引用しながら紹介しておきたい。

 「私の人生の目的は、死を迎えるときに、私の”たましい”がさらに磨かれて美しくなっているのかどうか。それだけが人生の目的だと「おもうものですから、あらためてこの人生をのなかで自分のたましいを磨いていくことをしようと思っているんです。」
 これは、稲盛さんの発言である。経営者の神様のような功成り名遂げたかたが、70歳近くでこんあことを言っているのである。いなもりさんは、立派な経営者に成れたことは、「そんなのは現生における砂上の楼閣みたいなもでしかありません。」という。そのあとに続くのが、上に引いた「私の人生の目的」である。あの稲盛さんがこんなことを考えているなんて凄いことだ。やはり足元にも及ばない。

 作家の五木寛之さんも凄い人だ。42歳で煙草をやめたんですが、12歳から吸っていたから止めても・・、みたいなことを言っている。五木さんは、父親が朝鮮で教師をしていいた。1947年に日本に帰り、12歳頃から家族のために闇焼酎をつくって販売し足りして家族の生活を支えてきた。母親と弟は引き上げの後で早くに亡くなっている。壮絶な少年時代を過ごしているのだ。
 「『日刊ゲンダイ』が創刊されたときに入社した編集者が、その時からずっと一貫して僕の担当なんですから。同僚はみんあ部長とかに出世しているのですが、彼は僕の原稿をとるために一介の記者のままです。下手な字で、他の人じゃ読めないものですから(笑)。恐らく、2、3年後に定年退職するだろうと思うのですが、気の毒というか何というか。これも、本当にありがたいですね。それで僕は、寝る前とか朝起きた時に「ありがたい」ということをよく思うんです。いろんあことで悩んだり闘病生活を送っておられるような方がたくさんいらっしゃるわけでしょう。そういう方たちに申し訳ないと思うんですね。健康保険、一度も使ったことがないんですよ。保険料を納めだけで。」
 本当なのだろうか? 本人がいううのだから、本当だろう。前もなにかの本で、五木さんが、「シャンプーも使ったことがない。石鹸でゴシゴシ適当に洗うだけ・・・」と書いていた。それでいて、80歳を越えて、ふさふさしたあの綺麗な髪形はどうなんだと思う。さらに、次のように言う。」
 「ひどい下血があったときも病院には行かないと言って、がんばってきました。なにがあっても注射したことない。検査もしない。そういう主義でやってきました。レントゲンは、早稲田(大学)に入るとき、昭和27年に強制的に一回撮らされましたが、それ以来、一度も被爆していないというありさまです。それが信念になってしまっている。」
 五木さん、これは凄いよ。恵まれているんだよ。神様の御加護のお陰ですね。毎日、「ありがたい」と言っても足りないくらいだ。五木さんは、早稲田の露文に入学して中退している。実は私は早稲田の露文に入りたかった。しかし、当時(昭和40年頃)の早稲田大学の受験料は5千円だった。一方、国立北海道大学の受験量は1500円だった。その差額の2500えんが私には出せなかったのだ。でも、五木さんは謙虚にこう言っている。
 <ただただ、「おかげさまで」と思わざるを得ませんよね。同僚、仲間のなかには白内障になった人もいるし、いろんあ人がいるのに、自分の目で字が読める。ああ嬉しいと、毎日喜んでいます。>

 全くその通りです。こうして今日も興味深い本が読めたことは「ありがたい」です。