TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

西浦 博さん(8割おじさん)のこと

 新型コロナウイルスの感染拡大ぼうしのための政府の「専門家会議」で西浦 博さん(北大教授)の提言に目を惹かれたのを覚えている。「おお、北大にもこんな教授がいるんだ」、と驚くとともに頼もしく思った。
 「(新型コロナウイルス感染に対して)対策も何もしなければ重篤患者数が約85万人に上り、そのうちのほぼ半数が死亡する」との衝撃的な試算を西浦さんが発表したのは緊急事態宣言後の4月15日だった。感染拡大を抑制するために人の接触を8割減らすことを提唱した。こことから、西浦さんは「8割おじさん」と呼ばれたりしていた。この「8割おじさん」の呼称は好意的な愛称(自称?)ともとれるし、あるいは日本の経済を減速させた提言との批判(揶揄)ともとれる。恐らくその両方なのだろう。
 この西浦さんが、この(2020年)8月から、北大教授から京都大学教授(社会健康医学系)に移動した。西浦さんは2016年4月から北大教授になったので在籍は4年余である。北大のユニークな発言する教授として活躍を期待していたので残念である。
 西浦さんが提言したら「人の接触を8割減を」には新聞等でも批判があった。京都大学大学院教授(社会工学)の藤井聡氏は次のように批判している。
 「政府の誤った感染症対策によって、日本経済は疲弊し、倒産や失業が激増した。西浦氏はその科学的責任を最も負うべき人物の一人だと思う。実は、感染者数は3月27日をピークに減少に転じていた。緊急事態宣言が発令された4月7日時点でではその事実がわからなかったと思いますが、4月末には専門家ならだれの目にも明らかでした。緊急事態宣言や8割自粛は、少なくともピークアウトには不要でした。しかし、西浦氏や専門家会議は政府に緊急事態が解除できる可能性を示唆せずに、延期を指示したのです。政治判断に必要な情報を提供しなかったのは、専門家として怠慢と言われても仕方ありません。」
 上に引いたような批判がよくなされているようだ。その後、尾身茂さんを委員長として新たに発足した専門家委員会には西浦さんは入っていない。西浦さんが専門の理論疫学という学問領域は日本ではまだ新しい。個人的には西浦さんの研究は、今後の新型コロナウイルス感染拡大防止のために重要な役割を持つと思っていた。
 緊急事態宣言が解除されて、冷え切った経済活動を再生するために、「GOTOトラベル」等も始まった。しかし、ここへきて8月1日の東京都での472人の新たな新型コロナウイルス感染確認以降は、連日、日本全体で1000名を超える新たなあな感染拡大が止まらない状況が続いている。
 ともあれ、今後も西浦さんが理論疫学の見地から的確な提言をすることを期待したい。

 ■かくて生まれり「8割おじさん」■
 
  昨日届いた医学界新聞(第3383号、2020年8月10日付)に、西浦 博さんが出ていた。シリーズ「この先生に会いたい」に西浦さんが登場したのだ。医学界新聞のこのシリーズインタビューは随時的な企画だ。時折、興味深い人を読んでいるので楽しみに読んでいる。今回のインタビュー者は(聞き手)は、村山泰章さん(国際医療福祉大学医学部1年)という方だ。先般の新型コロナウイルス対策のために補発足した「厚労省クラスター対策班」に医学生の立場で参画していたのだという。そのよな経緯で、「この先生に会いたい」の企画が成立したようだ。この記事の概要を紹介したい。
 村山 では西浦先生の研修医時代の話をお聞かせください。大学卒業後、研修医先はどういった観点で選ばれたのでしょう。
 西浦 感染症疫学の研究者になることは医学部卒業前に既に決めていたので、研究者になる前に現場を経験しておきたいという気持ちでした。私が選んだ都立荏原病院は当時としては珍しく感染症科があって、これが決め手になりました。各科ローテーションも、感染症科に優先的に配属してもらうなどの配慮をして貰いましてね。

 西浦さんは、大阪の出身で、阪神・淡路大震災を経験して医師を志したらしい。宮崎医大を2002年に卒業して、研修を東京都の荏原病医院で経験している。
 村山 時代をさかのぼって、理論疫学に出合った医学生時代の話をお聞きしたいです。
 西浦 入学したのは宮崎医大でした。隣の熊本県にはWHOで天然痘根絶計画に携わった蟻田功先生(現・国立病院機構熊本医療センター名誉院長)がおられて、日本で国際保健活動を続けていると聞き会いに行ったのです。医学部を目指したのも阪神・淡路大震災に罹災した際にNGOで活動する医師の姿に心を打たれたことが契機でしたから、もともと国際保健に関心があったのです。

 西浦さんの経歴が凄い。荏原病医院での研修を終えたあt、広島大学医学部大学院保健学研究科に籍をおいて、海外に雄飛している。その経歴が西浦さんの理論疫学の研究者かつ実践者の道への一直線のように見える、その経歴は以下のようだ。
 2003年 タイ・マヒドン大熱帯医学校大学院生
 2004年 英国インペリアル・カレッジ・ロンドン医学部感染症疫学教室客員研究員
 2005年 独チュービンゲン大医系計量生物学研究所研究員
 2006年 長崎大学熱帯医学研究所特任准教授
 2007年 蘭ユトレヒト大理論疫学博士研究員
 2009年~ JSTさきがけ研究員
 2011年 香港大公共衛生学院助理教授
 2013年 東大大学院医学系研究科国際社会医学講座准教授
 2016年 北大大学院医学研究院教授
 2020年 8月から京大大学院医学研究科社会健康医学教授

 2003年~2016年まで、毎年のように学びの場所・国を移動しながら理論疫学のみちに進んでいく西浦さんのエネルギーには驚嘆する。医学界新聞のバックナンバーは、ネットでも読めるので、記事の紹介はここまでにする。西浦さんの今後の活躍に期待したい。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関しても、引続き前向きで貴重な提言をお願いしたい。私たち庶民が正しく恐れて対処していくためにも・・・。
 

 

(更新予定)