TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『ニコライ堂の女性たち』 中村健之介、中村悦子著(教文館、2003年刊)を読み始めた

 今年になって、『相馬黒光著作集』を読んで、相馬黒光駿河台のニコライ堂でロシア語を学んだことを知った。黒光は、ロシア語を話せたので、エロシェンコ新宿中村屋に住まわせことが容易であったのだろうと推測した。ニコライと言えばと、中村健之介さんがプロジェクトを組んで翻訳して世に出した『ニコライの日記」が、キリスト教系の出版社から確か4巻本で出たのを思い出した。1990年代の末期だったろうか?その頃、私は文京区本郷の出版社に勤務していた。真砂図書館で『二コライの日記』を「リクエストしたところ、小石川図書館という文京区内の別の図書館から取り寄せてくれて借りることができた。あまりに大部なので少ししか読めんかった。その本で、ニコライは日本各地をロシア正教の伝教のために訪れていたことを知った。茨城や栃木から私の故郷である群馬の片田舎まで足を延しているので驚いた。高崎には今でも「ロシア正教会」があるらしい。『ニコライの日記』について調べていたら、上記の『ニコライ堂の女性たち』という大部の本が、中村健之介、中村悦子 の共著で出ているのを知った。こういう経緯で、『ニコライ堂の女性たち』を早速ネットで注文した。アマゾン経由で「いちょう企画」とう古書店から本が送られてきた。今から丁度5年くらい前の2015年9月26日のことだった。爾来、この本は私の書棚で眠っていたことになる。
 まえがきとあとがき、をまず読んだ。この本には、ニコライとかかわった5人の女性たちの来歴とロシア正教徒としての一途な生き姿が描かれている。そのうちの三人、「イリナ山下りん」「フェオドラ北川波津」「エレナ瀬沼郁子」を」中村健之介さんが書いている。残りの四人、「エレナ酒井ゑい」「テクサ酒井澄子」「ナデジダ高橋五子」「ワルワラ中井終子」については中村悦子さんが書いている。
 中村悦子さんのあとがきに書いてあった。

 <1979年、中村は日本学術振興会ソ連科学アカデミーの交換研究員としてソ連に派遣され、わたくしたちは家族でモスクワに滞在した。こどもたちが学校へ行って間に二人でニコライに関する資料を探して市内の教会を訪ねまわっていて、偶然のことからにコライの日記の存在を知った。ニコライの書いたものは関東大震災で焼失して無いと言われていたので、それは大きな驚きであった。それからすぐ、中村は単身レニングラード(サンクト・ペテルブルグ)へ飛び、とぎれがちな糸をたどるようにしてようやく同地の古文書館で「ニコライ日記」を見出したのである。・・・・・「ニコライの日記」を発見してから、長い物語になるほどのさまざまな困難を乗り換えて、日記全体の約七分の一のロシア語原文が北海道大学図書刊行会から出版されたのは、1994年であった。そして、2000中年にようやくその日本語抄訳が同刊行会から出版されたのである。」


 あとがきを読んで、「ニコライ堂の女性たち』がどのようにして出来上がった本かがよく分かった。詳細な年譜や後注、さらにとりあげられた人物の家系図までが添付されたりしている。詳細な研究書である。かつ、この本は中村健之介、中村悦子さんという類まれな夫婦の共同作業というか、生きてきた物語でもある。
 早速、第一章 エレナ酒井ゑい、だけを読んだ。全部をよんでから感想をか書きたい。今回は、この類まれな本との出会いに触れた。