TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

杉村 隆さん(国立がんセンター名誉総長)の2020年8月6日逝去に接して思うこと

 杉村 隆さん(国立がんセンター名誉総長)が2020年8月6日に逝去されたことを知った。94歳ということで天寿と言っていいかもしれない。菅野晴夫さん(癌研究会元総長)に続いて癌研究の泰斗(貢献者)が去った。癌の解明はどこまで進んだのだろうか。治療に関しては、本庶佑さんの免疫療法(オプシーボ)のような薬がでてきた。癌は不治の病ではなく治せる(余命を先おくりできる)病気となったと言えるだろう。このブログで、1981年頃の世界環境変異原学会(東京開催)と絡めて杉村 隆さんには既に触れた。杉村さんには、私が週刊医学界新聞の記者であった時代(1981年~1993年)にインタビューや学会取材で何回もおで目にかかった。もちろん、先方は東大医学部出身の生化学者、病理学研究者であり、こちらは無知な若輩の記者であったので立場が違う。とはいえ、忘れ得ぬ『私の「医人」たちの一人』なので記録と記憶のためにここで若干の回想を書く。多分、近いうちに、識者の追悼文が書かれるであろう。
 私が、初めて杉村さんにお目にかかったのは、世界環境変異学会が東京で開かれた1981年頃だと思う。この学会の広報のために、杉村隆さんに先輩記者のSH君がインタビューをするというので新米記者の私も同行した。この折に、私よりも年下の先輩記者SH君からインタビューのやり方を学んだ。素人のほうがなまじの知識がないので率直に尋ねやすいということも知った。この時の国際学会の事務局で杉村さんを支えていたのが河内 卓さん(大阪大学出身のがん研究者)だった。河内さんはこの数年後に国立がんセンター(研究者)から公衆衛生(確か埼玉県浦和市の保健所長)に転じた。以降、お目にかかることがなかった。

 ■『発癌物質』(杉村 隆著)―がんにかからないための十二か条■

 1982年(昭和57年)に杉村さんは、『発癌物質』(中公新書)という一般読者向けの啓蒙書をだされた。癌のできるメカニズムをわかりやすく解説したものだ。「第6章 魚の焼け焦げに発がん物質を発見――環境中の変異原物質とがん」は、当時としては画期的な指摘であり、一般市民の健康志向に影響を与えたと思う。活性酸素フリーラジカの人体への悪影響やメイラード反応とかは未だ言われていなかったと思う。「第11章 がんにかからないための十二か条―がんの予防とはなにか」は新聞で紹介されたりした。私も含めて一般市民はこの提言を真摯に受けとめた。この十二か条は改訂版がでていることもこのブログで既に触れた。
 杉村さんは、奇しくもというか、2003年に自らが胃がんの手術を受けた。医学の専門家は自分の専門の病にかかる場合が多いといわれる。そうかもしれない。杉村さんが国立がんセンター総長の時代に、米国から一時帰国して国立がんセンター病理部に在籍されていた向井紀二さん(ハーバード大学元教授)も胃がんで逝去されている。向井さんは、癌遺伝子の研究をされていた。
 最後に、新聞記事から杉村さんの経歴を採録したい。

<がんの基礎研究者の第一人者。ネズミに化学物質をのませて人工的に胃がんをつくった実験や、焼いた肉や魚のこげに生じる発がん物質の発見などの業績で知られる。癌はDNAの変化によって起こるという発がんの基本的な概念を確立したことが評価され、武田医学賞や藤原賞、日本国際賞、米国のモット賞などを受賞している。1978年、文化勲章受章。1984~1992年国立がんセンター総長。1993~2002年東邦大学学長。2013年~2016年まで、日本学士院長を務めた。>

 私が初めてお目にかかったのは、杉村さんが国立がんセンター研究所長の時代だったようだ。厳しい病理学者だと思うが、わたしたち医学記者には気さくでシャイな一面も見せた、飾らないお人柄が偲ばれる。杉村さんのご冥福をお祈りする。