TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「黄金の輪」とロシア正教について

「『ニコライ堂の女性たち』の第2章山下りん」を読みながら、かつて30数年も前に山下りんに興味をもって一冊の本を買ったことを想いだした。先日から書棚を探して漸くみつけた。小田秀秀夫著『やましたりん』である。初版発行が1977年(昭和57年)6月30日となっている。概要を記録と記憶のために書いておきたい。
 ■山下りんの伝記■
 明治新政府なったばかりの騒然たる東京に、茨城県の片田舎の笠間から15歳の少女が身一つで上京した。経緯はともかく手放した親があっぱれである。財力のある家だったのか。絵画修行の苦闘を続け、やがて工部美術学校開校と共にわずか六人の女子の一人として入学する。浅井忠、小山正太郎、五姓田芳松らとフォンタネ―ジの教授を受ける。明治13年、ロシアの首都ペテルブルグに画の修行に赴く。その経緯は、読み途中の中村健之介さんの「山下りん」に書いてある。ニコライの推挙である。ロシア正教イコン画を学ぶ苦労は筆舌を絶するものであった。2年余のロシア留学から帰国したりんの生涯は、聖像の画家として一筋道を歩む。神田ニコライ堂の一角の画室で修道女のように生活をしながら、全国各地のハリストス正教会の聖像画を描き続ける。
 著者の小田秀夫さんは、山下りんの肉親らしい。帯広告が、「昭和14年、郷里笠間で八五歳の生涯を閉じた山下りんを語る記述には、肉親としての愛と、研究者としての厳しい分析が全編に渡って展開する」と結ばれている。

 上記の本を私は、1977年に購入している。日動出版から出ている(2200円)。この本を買ってはいいが読まないできた。今回、久しぶりに紐解いたら、面白いメモ(コピー)が挿入してあった。『山下りん 黎明期の聖像画家 山下りん』(岡畏三郎監修 鹿島卯女編集、鹿島出版会 20000円)という本の紹介である。「釧路ハリストス教会の聖母子――このイコンの作者はと問われて、山下りんという正解をすぐ出せる人はそういないだろう。・・・・明治16年に帰国後は神田のニコライ堂をはじめ各地の教会にイコンを描き、今も残るその聖像が画が本書に収録された。」という、当時、読売新聞(1977年3月14日)に掲載された書評の切り抜きである。1977年というと、私が出版社に就職して7年目だ。出版社社員の特典として、本が2割引きで買えたので興味を持った本は思い切って購入していた。そして43年の月日を経て紐解こうとしている。

「黄金の輪」とロシア正教について■
 『山下りん』(小田秀夫著)を見つけ出した。その隣に、これも興味深い本がでてきた。濱田靖子著『イコンの世界』(美術出版社、1978年、2000円)という本である。この本を開くと興味深いメモがでてきた。1977年~1990年頃まで、私は東京・本郷で伊集院俊隆さん(「新読書社」社主)が主催していた本郷ロシア語クールスでロシア語を学んでいた。クールスを中心にして、「本郷ロシア語文化研究会」という小さな交流の会にも参加していた。ロシア語とロシア文学と関係のない医学系の出版社で口を糊していたので趣味としてロシア語との関わりを求めていたのだ。1977年4月22日(金)に、初回のロシア語文化研究会が開催され出席した。初回の発表者は坂本市郎さん(本郷クールスのロシア語講師の一人)だった。坂本さんは、ハルピン学院でロシア語を学んだ人と聞いた。その頃は、埼玉県の志木市あたりで中学の教師(社会科か英語だったらしい)をしながら、一方で、ロシア語の通訳や翻訳の仕事もしていた。たしか、ハルピン学院では内村剛介さん(本名は内藤操さんだったかな?)同期生だった言っていた。
 初回のロシア語文化研究会のテーマは、「黄金の輪(ロシア語では、ザラトェ・カリツォ)だった。

(更新予定)