TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

遺言について考える「敬老の日」だった

 やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 (芭蕉

 蝉はもうすぐ秋になればはかなく死ぬに決まっているのに、今は少しもその気配はみせずに元気に鳴いている

 I can't see the death of a cicada (英訳)

 今年の夏はおても遅くやってきた。長い梅雨が開けたのは8月に入ってからだ。8月の8日に久し振りに近隣の林を歩いたら、いきなり蜩の「かなかな」の声を聴いた。蝉と言えば、茹だるような暑さの中での油蝉と空に沁み込むような欅の幹で鳴くミンミンゼミの声が懐かしく好きだ。遅くやってきた夏だったのに、蝉の声を余り聞かないうちに初秋になってしまった。

 暑さ寒さも彼岸まで! お彼岸になると毎年同じに日に忽然として彼岸花が咲く。真っ赤な彼岸花は秋の先駆けである。ところが今年の彼岸花は白が先に咲いていた。同じ場所で毎年咲くのだが、七三の割合で白い花のほうが多いのだ。何故だろうか?

 蝉の声を枕に、今日は「やがて死ぬこと」について考えてみたい。やはり、遺言を書き残すことが必要だろう。遺言(ゆいごん)は、「いごん」と読んではいけないのだろうか? 遺恨(いこん)を残さないために、やはり遺言(ゆいごん)を書いた方が良いとは思ってはいる。私の父は遺言などは残さなかった。父の死に際して、兄からの遺産放棄の申し出に即に応じた。これは当然な成り行きであった。生まれた姓を捨てて婿養子に入っていたのだから当然ある。与えられた旧姓を離れるときに,拘泥感はなかった。そして、養子先の義父も遺言を残さずに世を去った。義父は幾ばくかの財産を残した。義理の息子である私は、遺産相続の本を購入してきて、自分で遺産分割協議書を作成して、義母、長女(私の妻)、次女(義妹)の四人で遺産分割を行った。30年近く前のことである。30年経過して、こんどは私の死んだ後のことを考えねばならない。こんなことを思っている時に、「遺言の活用―思いを確実に残すために」という記事を読んだ(2020年9月21日付 朝日新聞朝刊)。記憶と記録のためにこの記事を纏めておく。

 ■遺言の活用って何だ■
 「活用」するのは、残された相続人たちなんだ。本当は、死んでいく私の知ったことではないのだが、「子孫のため美田を残さず」と言ったのは西郷さんだったか、それが理想なのだろうが、幾ばくかの財産が多分残りそうなのだ。働き続けてきてまた相続争いを避けるために遺言を書かなければ困るなんてなんだと腹だたしい。強欲な子どもを持ったつもりはないが、それぞれが配偶者を得て既に別世帯で別人格となっているので、話は一筋縄でいかないのだろう。
 2年前(2018年?)の相続制度の改正で、遺言書の財産目録は手書きでなくてもよくなった。(つまり、財産目録はエクセルで表にしてもい。)2020年7月には、自筆の遺言書を法務局が1通3900円の手数料で保管する制度も始まった。この2カ月間で約5千件の利用があったそうだ。遺言の主流は、公証人が関わる「公証証書遺言」だ。専門家が点検するので、後で法的不備が指摘されることはまずない。民法では、「自筆証書遺言」も認めている。こちらは、手軽に書けるので便利だが、必要な事項が書かれていないなどの理由で、無効とされる恐れがあるらしい。なくなったり、改ざんされたりする可能性もあるというのだ。実際、真正なものであるかどうかで争いになることも珍しくないのだという。実際そのような事例はある。そんなことなら、財産など残さないのが一番いいのだが、いつまで生きているか分からない。生きるためにはお金が必要なので、もしかした残ってしまうだろう。遺言書を法務局に保管すれば、紛失や変造の心配はなくなる。また、通常の自筆証書だと、家裁で相続人らが開封・検認する手続きが必要だが、法務局に保管すればそれが必要ではなくなる。
 ところがである。遺言書が保管されているかどうか、どこかで書いておかないと遺族には分らない。したがって、遺言書があることが知られないままに、相続の話し合いが進んでしまうことがあるのだという。そこで、法務省は法務局で戸籍を担当する部署が本人の死亡を確認したら、あらかじめ本人が指定した人物に対して、遺言書の保管を通知する制度を、来年度(2021年)中に導入することを検討しているという。
 当事者の間で遺産分割の話し合いがつかず、家裁に調停が申し込まれる件数は2018年に約1万3千件あったという。10ねんまえに比べて2割増えたという。相続争いは資産家の話と思われがちであるが、実態は残された財産が1千万以下というケースが3割以上なのだという。何で子どもたちは親の財産をあてにしたりするのだろうか。おまけに、遺言書は年齢には関係が無いという。何故かというと、未成年者の子がいる場合も、法定相続人の妻は同じく相続人である子の代理人になれいないという。利益が相反する可能性があるためで、家裁に特別代理人の選任を請求する必要があるのだそうだ。面倒なものですね。妻にすべてを相続させて問題がない場合には、その旨の遺言を残していれば、そうした面倒は起こらないことになる。
 9月21日(月)は、「敬老の日」なので、遺言の記事が掲載されたということのようだ。いずれにせよ、私の場合も早いうちに「遺言」を書いてくれと妻からも責められている。気持ちとしては「黙ってオサラバして、後は野となれ山となれ」の気持ちが相応しいのだが、そうもいかないのだろう。