TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「北海道人 松浦武四郎」を読んだ!

 良い本に出会えた。あの『黄落』の著者の佐江衆一さんがこんな本を書いていたのだ。「あとがき」によれば、松浦武四郎の『東蝦夷日誌』を読んで、いまから45年も前に佐江さをは、十勝海岸を約八十キロも歩いたことがあったのだという。爾来、探検家であり、志士であり、民俗学者・地理学者・植物学者でもあり、北海道という名称の名付け親でもある松浦武四郎を主人公とした小説を書きたいと思っていたというのである。この本の発行日は1999年10月15日(新人物往来社刊)であるから、もう21年も前になるのである。私は不覚にも松浦武四郎の名前すらもしらず北海道大学を卒業した。恥ずかしいくらいである。
 佐江さんは、この小説を書くにあたって参照した「引用・参考文献」を巻末にあげていた。吉田武三さんという方が、『定本松浦武四郎』を初めとして5冊くらいの武四郎の伝記本を書いている。『近世蝦夷人物誌』(松浦武四郎 三一書房)他に、松浦武四郎自身が書いた本もたくさん出ている。松浦武四郎は、探検をしながらメモとスケッチをして、旅をおえると記憶の新しいうちに紀行文を纏めているのである。武士でもあったが文筆家でもあった。『北の先覚』(高倉新一郎)という本もある。高倉新一郎さんは、私が北大に在籍した(1966年~1970年)の頃に北大にいたのではなかったろうか。『静かな大地―松浦武四郎アイヌ民族』(花崎こう平 岩波書店)という本も出ている。花崎さんは大学闘争(60年~70年)の頃に北大を去っていったと思う。北海道大学にいながら、松浦武四郎のことを知らなかったなんて恥ずかしい限りだ。遅ればせながら上記の文献を読んでみたい。

松浦武四郎ってこういう人■
 小説の中で、松浦武四郎は43歳のときに18歳年下の「とう」と結ばれる。「第8賞 花と風説」のところには、二人の出会いがほほえましい形で描かれている。武四郎は71歳で脳卒中で倒れている。1888年明治21年のことである。時には刺客に狙われることもあり、風雲急を告げる幕末から明治末期を生き抜けたにしては長命であったのかもしれない。

 出身地の三重県松坂市にに松浦武四郎記念館があると知った。機会を作って行ってみたい。文政元年(1818年)2月6日に、松坂市小野江町(当時は伊勢の国一志郡須川村)で生まれた。最晩年は、神田五軒町に自邸を構えた。上野の不忍の池からも遠くはないようだ。上野本郷神田界隈に武四郎の足跡がなにか残されていないだろうか?今度調べてみたい。