TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『テクサ酒井澄子』(『ニコライ堂の女性たち』第4章)を読みながら思う

 『テクサ酒井澄子』(『ニコライ堂の女性たち』第4章)を読んでいる。
 この本は、中村健之介さんと奥様の悦子さんとの共著である。第2章山下りん、第3章 フェオドラ北川波津、第5章エレナ瀬沼郁子の3つの章は健之介さんの仕事である。残りの4つは悦子さんの仕事である。既に健之介さんの書かれた3つの章は読んだ。瀬沼郁子の記述はかなり厳しい男の目から書かれていると感じた。
 第4章の酒井澄子は、第1章酒井ゑいの娘である。悦子さんは随分と綿密な調査取材に基づいて書かれている。酒井澄子の章の感想は読後してから書きたい。ここでは、著者の中村悦子さんの想い出を書きたい。
 私は学生時代に健之介さんを通じて奥様の悦子さんの知己も得ていた。中村悦子さんは、お生まれは函館で札幌市にある藤女子大学国文科の出身で歌を詠む人である。たしか当時、「原始林」という歌誌の同人であったと思う。私の学生時代にガリ版刷りの「歌集」を作って差し上げたことがあった。ロシア文学ともロシア語とも無縁であったはずの悦子さんは、夫の健之介さんのモスクワ留学に同行してモスクワに滞在中にニコライの日記の発掘に、一緒に奔走された。このことは本書の「あとがき」に書いてある。そうした経緯で、奥様の悦子さんも人並みを超えたニコライやニコライ堂の女性たちに精通してきたのだと思う。「ニコライ堂の女性たち」の文章は、ロシア・ソ連の文献(書籍・雑誌・新聞)の輸入販売会社「ナウカ書店」の広報誌「窓」に掲載されたものが初出らしい。日本のロシア語学習の衰退やインターネットによる情報伝達手段の変化に伴い「ナウカ書店」は、2006年頃に倒産して今はないと思っていた。しかし、直ぐに翌2007年に合同会社として、「ナウカ・ジャパン」という名称で再建されて神保町に現存するようだ。随分前から、「ナウカ」と「日ソ図書」という二つの会社がロシア語文献を扱う会社であった。「日ソ図書」は1990年代には本郷の裏通りにあったが今はない。どこかで現存するのだろうか。

 さて、本書の「まえがき」にはこう書いてある。
 「この本は、明治時代、ニコライとともに生き活動し生涯をかけて正教会のために尽くしながら、その教会においてさえほとんど忘れられてしまった女性たちの、その声を聴こうとする努力である。私たちは「ニコライ堂のじょせいたち」がどのような人たちであったのかを、彼女たちのその「才能」を、見ようとしているのである。7人の女性たちのそれぞれの生涯には、われわれに語りかけることばがこめられているのを感じる。そのことばを聞きたい。それを、でっきることなら過去からいまへ解き放ちたい、そう願っているのである。」
 なんと熱いメッセージであろうか。本書のような仕事は何なのだろうか。文芸評論ではない。文学研究でもない。いわば人間の掘り起こしとでもいうのであろうか。ノンフィクション小説のようにも読めるが、詳細かつ膨大な後注まで含めると「人間探求考察」のように思いながら読んでいる。
 本書の冒頭に次のような献辞が載っている。
 「切羽で仕事をしたいと言っておられた寺田透先生に、本書を捧げる。」
 寺田透さんは、健之介さんの東京大学大学院時代(卒業をせずに国際基督教大学の履歴)の恩師である。学生時代に、「寺田さんが・・・」という話を聞いたことがある。おそらく優れた師であり私淑されていたんであろう。ところで、切羽(せっぱ、きりは)とは、刀の鍔のの根元に入れる金具らしい。「切羽で」とは、切羽詰まるの言葉があるが、命がけとでも言う意味だろうか。

 本書「ニコライ堂の女性たち」は2003年に刊行されている。かなり厳しい仕であったのだと推察する。読むと、ニコライ堂の女性たちの声が聞こえるほどに思う。良い本に出会った。