TomyDaddyのブログ

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中村悦子著『テクサ酒井澄子』(『ニコライ堂の女性たち』第4章)を読んだ

中村悦子著『テクサ酒井澄子』(『ニコライ堂の女性たち』第4章)を読んだ。すごい労作である。
 中村悦子さんは歌人である。テクサ酒井澄子も歌を詠む人である。酒井澄子は明治38年1月4日に、満37歳と3カ月の生涯を閉じている。
 「はやゆきて天つみ国のたよりせんうれしき旅よ今日の門出は」という辞世の歌が紹介されていた。夫の医師荻原みち彦の不審死(沼で溺死した)で、澄子の結婚生活は四年にみたなかった。夫の死んだときに澄子は身重であった。そのご、二人の用事を函館の母(エレナ酒井ゑい)に託して再び上京してニコライ堂の女子神学校の教師となる。その後の紆余曲折の労苦をここでは省くが、まさに悲哀に満ちた短い生涯の道筋は、ここで紹介する中村悦子さんの類まれな調査によって私たちの前に明らかにされた。

 この章のすごいところは、悦子さんの取材力といえるだろう。本章の文末には、二つの付記が書いてある。「その一」は、澄子の長女エカテリナ荻原清子(彼女も母と同じ正教徒として生きた)のことが書いてある。結婚して後藤清子改姓した清子の息子たちが、つまり祖父荻原の系譜を継いで医師となっている。二男定(さだむ)ガ、札幌第一病院に勤務、四男守る(まもる))は、公立札幌病院長を務めた。後藤清子は、昭和48年月に、札幌の二男定宅で、81歳の生涯を閉じている。私が札幌にいた昭和41年~45年には健在であったのだ。「そのニ」は、

(更新予定)