TomyDaddyのブログ

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私の「医人」たちの肖像― (128)小俣政男さんと「私のC型ウイルス肝炎治療」のこと ~1998年12月1日(火)

(128)小俣政男さんと「私のC型ウイルス肝炎治療」のこと~1998年12月1日(火)

 

 1998年8月11日。東京逓信病院で受けた人間ドッグで、私はC型肝炎ウイルスのキャリアであることが判明した。担当医の関根昌子医師から専門医への受診を勧められた。忙しさにかまけて数カ月はそのままにしていた。東京逓信病院にするか、会社に近い東大病院にするかと、受診先の選定に迷っていた。

■どこの病院がよいか?■

C型ウイルス肝炎というと、東大病院第2内科の小俣政男教授を直ぐに思い起こした。千葉大学医学部出身である小俣教授は、米国留学中における肝炎研究の業績が評価され、東大教授に推挙された方と聞いていた。小俣教授による大著『肝臓』(上下2巻本)が、私の勤務先の医学書院から出版されていた。さらに、『内科学』教科書の刊行を目指して、同じく東大医学部神経内科の金沢一郎教授、消化器内科の小俣政男教授らが編集を進めていた。小俣さんとは仕事上の関係も深かった。前職である医学界新聞の記者時代に小俣教授の講演を拝聴したこともあった。小俣さんの飾らない人柄に好印象を持っていた。このような経緯から専門医への受診先として、小俣教授(東大病院)を選択した。

■小俣内科を初めて受診■

  • 1998年12月1日(火):

1998年12月1日(火):午前10時~11時の間に東大病院消化器内科を受診した。初診なので少し余裕をもって午前9時30分に病院受付へ行った。東京逓信病院での人間ドッグの結果を持って行ったので、初診料は免除されたと思う。東大病院予約センターで登録した私の受診カード番号は「061-6713-4」である。赤松先生という若いドクターが、小俣教授の診察前に予診をとった。「手掌紅斑」が出ていないかを調べるために掌平を見せたのを覚えている。

東大病院小俣内科での私のC型肝炎治療が、1998年12月1日から始まった。治療といっても、当時はインターフェロン投与しか治療方法が分っていなかった。従って、経過観察の日々であった。爾来、初めは2週間に一度の頻度で小俣内科を受診した。暫くして、肝機能改善のためにウルソ(昔の「熊の胆」)の一日3錠の処方を受けた。途中から医療法の改訂で慢性疾患に対しては4週間の処方が可能になり受診頻度が減った。8年後の2006年8月、当時の最新治療であった「ペグインターフェロン(PEG-IF)療法」を受けた。この折には10日間の入院を余儀なくされた。
 PEG-IF治療以降は、主治医が小俣教授から若手の医局員に変更になり、現在も通院を続けている。この日から2018年現在まで、延々20年余に東大病院通いが及ぶとは夢にも思わなかった。この間の長い経緯については、別のシリーズ「私のⅭ型ウイルス肝炎物語」に詳述した。
■小俣政男さん東大教授に就任■
●1992年~2009:
 
非A非B型肝炎ウイルが、「C型肝炎ウイルス」へと、名称変更されたのは1988年のことである。1992(平成4)年は、C型ウイルス肝炎治療については、「インターフェロン療法」が、漸く緒についた頃だ。古い医学関係の資料を整理していたら面白い切り抜きがでてきた。「日本医事新報」という雑誌(No.3564 平成4(1992)年8月15日)の記事切り抜きである。「人」というコラムに若き日の小俣政男先生が顔写真入りで載っていた。
 件の記事には、冒頭にこう紹介されていた。

「今や肝臓病のメジャーな要因がウイルスであり、ウイルス抜きには肝臓を語れない状況である。最近、その全貌が解明されつつあるC型肝炎をはじめ、ウイルス性肝炎の我が国をリードする研究者の一人が小俣さん。この分野の業績により今春、東大第二内科・杉本恒明教授の後任に、昭和二十年生まれの新進気鋭にして、千葉大講師から抜擢された。」
 
小俣さんは学生時代に、川喜田愛郎(微生物学)、岡林 篤(病理学)、三浦義彰(生化学)、小林達男(薬理学)博士らの基礎医学への薫陶を受けたのだという。
 「昭和45年に卒業し、第一内科に入局する。学園紛争の名残りがある中で、求めて卒後研修を受けるために米国エール大学病理学教室、南カリフォルニア大学肝臓研究所に留学した。千葉大第一内科は肝臓専門ということで、必然的に肝臓を主とした消化器が研究テーマとなった。
 千葉大第一内科といえば、奥田邦雄教授(1971~1987)に、1985年頃に二度ほどお目にかかった。小俣さんは奥田教授の時代に入局したのであろう。母方の祖父が医家だった影響で医師の道を選び、皮肉なことに専門分野である肝炎で母をなくしている。この無念さが、氏を研究に駆り立てたに違いない。小俣さんは、2009年に東大を定年退官以降は出身地の山梨にもどり、山梨県立中央病院(理事長)でご活躍のようだ。
 
本日は古い資料を目にして、私のC型肝炎治療における最初の主治医であった小俣政男さんについて触れた。
(2020.11.5)
(私の「医人」たちの肖像-〔128〕小俣政男さんと「私のC型ウイルス肝炎治療」のこと~1998年12月1日)