TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「歌集 夏・2010 永田和宏」(青磁社)を読んで感じたこと

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る (松尾芭蕉

 季語:枯野 
 この芭蕉の句が気になっていた。

「旅の途中で病気になってしまい自由に動けなくなってしまった。夢(気持ち)だけが野原をかけめぐっている。」

 こういう捉え方でいいのだと思う。私は俳句も短歌も好きなのだが自分では作れない。しかも、俳句は季語を入れて(季語なしもよいらしい)575(17文字)で自然を読み込むもので人間を詠むものではない。短歌は57577(31文字で)人の心を詠ずるものくらいの認識でいる。これでいいのだろうか?この区別から、冒頭に紹介した芭蕉の句は心を詠っていて、自然を描いているのではないと思う。俳句も短歌もそんなに意識して区別しなくともいいのだろうか?

 ともあれ、「歌集 夏・2010 永田和宏」(青磁社)を、稲城図書館の返却棚で見つけて借りてきて読んだ。この歌集は、私に読まれるべくして鎮座していた。毎週、朝日新聞の歌壇で、永田さんの選んだ歌と永田さんの選評を楽しみに読んでいる。永田さんの奥さんで歌人河野裕子さんは2010年の8月12日にお亡くなりになった。「歌集 夏・2010」は、2007年(平成19年)~2011年(平成23年)までの作品568首をまとめたものである。読んでみると短歌というものは作者の心の在り様を目の当たりに晒すものだとわかった。これはとても辛い作業の産物と知った。

 今から40年近く前に、職場の同僚で歌人樋口覚さんの伝で、若き日の永田和宏さんに私はお目にかかった。永田さんは東京での会社勤めを辞して大学院に戻り、研究者の道に進まれたころだった。既に結婚されておりお子さんもおられた。

 これがまあわが身に起こることなるや この頃は押しも押されもせぬ老教授 
 きみがゐてわれがまだゐる大切なこの世の時間に降る夏の雨
 それはきみの病気が言わせた言葉だと 思へるまでの日々の幾年
 子規に律、馬琴にお路(みち) 甘えられるものに甘えて辛くあたりき
 (子規には妹、馬琴には息子の嫁がいた)
 偶然に出逢ってのちの四十年 もう偶然とは言えないだろう
 わたくしは死んではいけない わたくしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ

 「歌集 夏・2010」の中から心に残った6首を上記に引いて掲げた。
 最初の1首は、時の流れのなかでいつの間にやら老いてしまた「老教授」の言葉が面白い。残り5首は、病に苦しむ妻を看ながらおののく夫の姿を赤裸々に吐露している。それは形を変えた「相聞歌」ともいえるだろう。
「それはきみの病気が言わせた言葉だと思へるまでの日々の幾年」を読んだときには、私はハッとした。同じような想いを妻の暴言を前にして私も思ったことがあるからだ。