TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

木俣修さんの「短歌の作り方」を読みはじめた

 「短歌の作り方」での第2章「今日の短歌」で、木俣さんはいろいろな人が様々な短歌を作っていることを紹介している。高校生の短歌、教員の短歌、生活と短歌と三つに区分して、実際の作品を通して解説している。「今日の短歌」と言っても、この本が出版されたのが昭和50年代だから40年も前の「今日の短歌」である。短歌は、もっともっと進化というか変わってきているのだろう。先日触れた穂村さんが、角川短歌賞の次席になった時の入賞が俵 万智さんで、「さらだ記念日」が有名だった。
 『この味がいいね』と君が言ったから7月6日はサラダ記念日
 この短歌は当時ずいぶん有名になった。その頃、多分、神奈川県の橋本高校の先生であった俵さんは、歌人として有名になって、歌人として生きなおしていった。それはともかく、短歌は特別のひとではなくて、普通の人がいろんな生活の中で作っている。

 「月照れる青田に水をひきをれば母も鍬もちて見まわりに来る」 
 この歌の作者は農家に暮らす高校生である。稲の生長期には水が大切である。夜も他の水加減を見てまわらなけれならい。それを詠っている。

 「ある年は体操教師にもなりある年は理科教師にもなりて勤めきたりし」
 これはせんせいの歌である。昭和20年代のわたしが子供のころは、戦後で教師も逼迫していて、代用教員あがりという先生もいた。先生もいろんな教科を教えていたのだ、

 「野川辺に光るねこやなぎの一枝をモンペの腰にさして帰りぬ」
  この歌の作者は田舎暮らしの農家のおくさんかもしれない。木俣さんは「野良がえりの作者ははるさきに、ねこやなぎの一枝を折ってモンペの腰にさしたのである。春を迎えた日の心おどりが、そうした行動をさせたのであろうと思われる。」と解説している。

 「平穏無事に養われる妻われら夫よりやつれゐる現実を知れ」
 「平穏無事に養われている妻が、せいいっぱい現状打破を叫んでいる歌である。サラリーマンなど軒を並べている住宅街が想像される。」と、木俣さんの解説である。

 木俣さんは、第2章「今日の短歌」で、いろいろな人が、自分の生きている生活の中で、生きるこころの情景をうたっていることを、実際の作品を紹介しながら解説している。つまり、短歌という短い「詩型」は、なんら特殊なものではなく、生活描写でよいのだと言っているのだと思う。そうであれば、私にも作れるのではないかと思い直した。

 「だいこんは 漬けよし煮よし 捨つるなし 葉は炒めよし 爺のお料理」
 庭先の二坪菜園は大根がいまは旬である。大根を3本抜いた。一本は娘に箱に詰めて送った。残りは、大根の酢の物、大根の糠ずけにし、葉は人参とごま油で炒めた。そのことを、57577に表現した。だめだねこれは。
 毎日やれば作れるようになるだろうか?73歳の短歌記念日である。