TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

佐藤佐太郎『短歌指導』を読みながら私の短歌概観

 さりげなく 言いし言葉はありげなく 君も聴きつらむ それだけのこと
 (石川啄木

 上掲の啄木の歌が好きで暗唱していた。私は相聞歌を書くような恋愛の経験をもたない、人付き合いが下手な少年期をすごした。だからこそか、啄木の歌は憧れだった。
 さて、木俣修さんの『短歌の作り方』を読み終えた。この本を読みながら、歌が1300年の伝統に培われた定型詩であることを改めて知った。短歌はやはりよい。短歌の本を他にも買ってもっていたのを思いだした。書棚から以下の本が出てきた。
 佐藤佐太郎著『短歌指導』 (短歌新聞社)平成5年刊
 宮地伸一著『歌言葉雑記』(短歌新聞社) 平成5年刊
 両方とも今から27年前に出た本である。買っても読まずに、長いこと書棚の中で埃を被っていた。今度こそと読みはじめた。
 ■佐藤佐太郎さんのこと■
 名前だけは知っていた。どんな歌を作られたのかは知らない。明治42年宮城県に生まれ茨城県で育った。大正15年にアララギに入会して斎藤茂吉に師事したと履歴にある。ずいぶん昔の人なのだ。
 <歌が好きになれる傾向をもっている人であれば、作品を味わうのと同時に、自分も作ってみたいという要求が当然おこるものであります。表現欲は人間の強い本能で、それはいろいろな形で現れていきますが、何かの機会でそれが歌に向かえば、歌によって満足を与えられるというわけであります。>
 冒頭の「短歌のすすめ」に上のように書いていあった。私は啄木の歌が好きだった。つまり、「短歌を好きなれる傾向をもっていた」のだが、73歳のいまになるまで歌を継続的には詠むことができなかった。

 「熱冷めし わが心のせ みちのくを 過ぎし列車は 虚ろなりしか」

 上の「歌」らしきものは、1966年3月、私が19歳の時、北海道大学に入学して、東北線で青森経由で札幌に向かう時に作った。「折角、大学に受かって、本来なら希望に溢れて列車にのって行くはずなにに、何故かその時は気持ちが落ち込んでいた。その時の心象風景を読んでいた角川文庫「啄木歌集」の余白に書きとめてあった。

 <私たちが、どこか旅行などを「して、ああ何ともいえない、いい景色だと、こういいますが、その「何んとも言えない」ものを、「言う」のが短歌(詩)であります。その光景なり気持ちなりというものを、細かにいろいろ言葉を費して、或る程度説明することができますが、「何ともいえない」感じ、そのものを直接に伝えるということはできない。短歌は、それを言葉によって表現しようとしているのであります。>
 このように佐藤さんに説明してもらうと、短歌というものはそんなに難しく考えずに素直に向きあえばいいように思えてきた。
 「土に生き 土を耕し 吾(われ)を産み 還りて母は 緑とならん」
 この「歌」らしきものは、母が亡くなったあとで、友人たちへの香典返しのために作成したテレホンカードに印刷した。これが短歌であるのかの自信はなかったが、とにもかくにも「57577」三十一文字の形で表現した。
 先日、土屋文明さんに触れた折りに言及したように、私は群馬県多野郡という養蚕が盛んな農村で生まれ育った。生家の辺り一面は桑畑で緑一色であった。明治45年生まれの母は四人の子どもを産み育て81歳で亡くなった。高等小学校の教育を受けただけだった。恐らく群馬県から外には余りでたことはなかったと思う。文字通り土を耕しで野菜の種を蒔き桑の葉を摘んで蚕を育てて一生を終わった。「母の愛は盲目」であったかもしれないが、「わが子を愛する素朴な母」であった。その母は土に還ったら再び緑の桑の葉になって生き返ってくるのだろうという心を詠った積もりだ。

 本日は、佐藤佐太郎さんの本を読みながら、「私の短歌概観」を書いた。