TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

図書館のある街に暮らす幸せ―ニッポンの小説ー百年の孤独(高橋源一郎)を借りてきた

 『二ッポンの小説』(高橋源一郎)と『夜の谷を行く』(桐野夏生)を読みはじめた2020年12月23日)。両方とも稲城図書館の返却棚にあって「読んでください」と私に微笑みかけてきたように感じた。
 高橋源一郎さんの文章は新聞と雑誌で読んで興味をもっていた。4回も5回も結婚していて子どもも沢山いる。結婚は一度でたくさんなのに5回と聞いて、それだけで尊敬してしまう。今回、経歴をみたら、1969年に東大が入試を中止したので京大を受験して失敗して、横浜国立大学経済学部に入学した。3時間講義にでただけで嫌気がさして、後は学生運動にのめり込んでいたらしい。公務執行妨害か何かで逮捕されて数カ月獄中にいた時に「資本論」他を読んでしまったというから凄い。佐藤優さんや、堀江さんもそうだが、獄中で本を沢山読んでいた人で作家になる人がいるように思う。ところで、高橋さんのまとまった本は一冊も読んでいない。今回が初めてだ。まだ「プロローグーニッポン近代文学百年の孤独」しか読んでいなのだが、饒舌な文体が結構面白い。ポストモダンとかはこういう人のことをいうのだろうか。1969年は、私が大学4年の時だから高橋さん世代は少しだけ齢下である。東大入試がなかったので、東大受験できなかったひとが医学部なら横浜市大医学部、文系なら横浜国大経済に行っているらしい。そして、大抵の人が少し屈折した学生時代を送っているようだ。「京浜安保共闘」とかの学生運動の拠点が横浜国大ではなかったろうか。
 もう一つの『夜の谷を行く』は例のあさま山荘リンチ殺人事件を扱った小説だ。最初は文藝春秋の連載だったので大筋は読んでいる。その時に作者の桐野夏生さんが女性作家だと知った。いずれ単行本になると思い、雑誌では読みそびれた時もある。あさま山荘事件は私たち世代にとって共通した「罪と罰」なんだと思っている。1969年に私が学生時代を過ごした北海道大学にも全共闘ができていた。本来なら1969年に卒論を書いて1970年3月卒業の筈だったのだが、卒論を提出せずに(卒論を書かずに)留年したのだった。その頃、小田実さんが主導していたベトナムに平和をという市民運動が札幌にも波及していた。私もそのデモには参加したが他の学生闘争には距離をおいた。
 ■ニッポンの小説―百年の孤独
 「ニッポンの小説ー百年の孤独」を読みはじめた。こういう本の書きかたもあるのかと驚きだ。高橋さんは、横浜国大経済学部での講義を3時間だけ聞いただけで、8年在籍して除籍になったということだ。それで、作家になって明治学院大学の教授を10年以上やったので今は名誉教授とおいうことだ。立派な経歴だ。本を読んでみると、博覧強記で頭の実によい人だと感じた。ところで、この本の書き方は、恐ろしくユニークだ。引用をたくさんしているのだが、行下げはしてあるが、引用箇所に何処からの引用の表示がないので、どこまでが地の文なのか区別がつかない。巻末に引用文献一覧があるからわかるようなものだ。その形式の是非はともかく、日本の近代文学(高橋さんはキンダイブンガクと書く)の出発点のところなどは、「なるほと」と感じる。透谷も独歩も「恋愛」と「誰かが死ぬこと」をかいているだけと言っている。面白い視点だ。青白いとというか、なんていうか文学少年上りという雰囲気は微塵もない。いずれにせよ、この本は小説ではない。なんという分野なのだ? まだ最初しか読んでないので読了したらまた感想を書きたい。読むと視野が開けるかもしれない。
 「それは、文学ではありません」のところまで読んできた。高橋さんの文章をよんでいると、「あたまのいいひとはこういう解釈でよんでいくのか」と目から鱗が落ちる感じがした。ここでは、わけのわからない『うわさのベーコン』という「小説」をとりあげている。そのすぐ後には、これまた頭脳明晰の代表のような内田樹さんの『他者と死者―ラカンによるれヴイナス』が出てくる。その次には、難解なという詩人の石原吉郎の「葬式列車」が出てきたりする。これはこれで読むのに苦労する文章なのだが読みはじめると惹かれて読んでいる。
  

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