TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「新春詠」を読む

 認知症予防には歩くのが良いらしい。さらに、歩きながら周りの景色を575句に詠みこむと脳を使うので更によい。先日読んだ新井平伊さんの『脳寿命を延ばす』にかいてあった。そこで、指を折りながら、「57577」とやるのだが、これが難しい。考え込んで散歩の休憩が増えてしまう。

 「ゆび折りて歩くさとやま認知症予防に良しも歌詠み難し」 うんむつかしい。

 令和三年 元旦の新聞の文化・文芸欄に「新春詠」という記事があった。朝日俳壇、朝日歌壇の各々四名の選者たちが夫々一人三句、二首を寄せたものである。これは選者への課せとして求められて詠んだのだろう。俳人歌人も仕事となると、これはこれで大変なことだろう。呑気な読者の私はそれらを読んで感想を述べたい。総じて言えるのは、わかりやすい言葉で詠んでいるのは驚くほどだ。

 まず、俳人の方は、高山れおな、稲畑汀子長谷川櫂大串章さん四名だ。私は俳句に疎いので、長谷川さんの名前しか知らない。有名な金子兜太さんに次いで、有馬朗人さんが年末に亡くなった。

 歳晩やたまたま入りて良き本屋 (高山れおな「冬の日」)
 「歳晩や」はなんと読むのだろうか? 五音だと「としばんや」で変だし、「としのくれ」でいいのだろうか? 最近は、街の本屋さんはめったにない。これは大都市や郊外の大型書店ではない。やはり、たまたま入った街の本屋だろう。

 掃く前の落葉になごりありにけり (稲畑汀子「卒寿待つ」)
 稲畑さんは、「卒寿待つ」の題で、三句を寄せている。上は最後の一句だがわかりやすい。「なごりありにけり」ってどういうことだろうか? 落葉も1ケ月くらい前は青くてみずみずしかったろう。その名残があるということだろうか?何となくわかる。

 赤ん坊笑えば我も初笑い (長谷川櫂「初笑」)
 長谷川さんの「俳句のすすめ」のような新書を一冊もっている。長谷川さんはたしか東大をでた高学歴者で途中から俳人としてたった人だと思う。まだ若いはずだ。「赤ん坊笑えば・・・」なんて、わかりやすくて、新年にぴったりだ。

 白鳥の今年の声に励まさる 発空の白雲に我が未来あり (大串章 「初空」)
大串さんは、「初空」の題で、三句を詠んでいる。どれも明るい希望が見られる。若い人なのだろう。「白鳥は哀しからずや空の青海のあをに染まずただよふ」という若山牧水の歌を思い起こす。こちらは、チョットもの悲しいうただ。

 次に、歌壇の四人の選者の歌を読んでみたい。歌の方の選者は、永田和宏、馬場あき子、佐佐木幸綱、高野公彦の4人の方だ。 

 永田和宏さんは、「学術会議」の題で2首を寄せている。何れも、歌人で科学者の永田さんの苦悩がうかがえる。こう詠まずにはおられないのだろう。
 明かされぬ理由は誰もが感がへる よおーく考へろよと睨まるるごと
 あのこと許したのがすべてのはじまりとわれら悔ゆべし遠から日に

 馬場あき子さんは、「密さけて」の題で詠んでいる。
 佐佐木幸綱さんは、「マスクと初日」の題で詠んでいる。
 高野公彦さんは、「年酒」の題で詠む。
 まだ知らぬ我に会はむよな七十九となりて静かに年酒(ねんしゅ)たのしむ

 高野さんは、今年で七十九歳になったのだろう。こいう素人くさい歌ものありなのだと感じた。「題」は自分で選んだのか、与えられたのだろうか? いずれも、現代の歌は普通の言葉で書いてあるのがわかりやすい。永田さんは、「旧仮名」で書いている。