TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「二〇二〇年ベスト百首」を読む

 先日来、短歌の本を読みながら、短歌らしきものを作っている。その関連で「歌壇」(2020年12月号)を稲城図書館で借りてきた。特集として、「二〇二〇年のベスト百首ー十人十首選」というのを掲載していた。読んで字のごとく、10人の歌人が10首ずつ選んで合計100首の歌が載っていた。何方も今の名だたる歌人なのだろう。私は歌人を知らないのだが選者の十人は以下の方たちだ。石川美南、今井恵子、内山晶太、楠田立身、高木佳子、高野公彦、浜名理香、日高堯子、藤島秀憲、吉川宏志。百首を早速読んでみたので、こころに残った歌を記憶と自分の参考にと掲示しておく。
 
 産めば歌も変わるよと言いしひとびとをわれは許さず陶器のごとく(大森静佳「短歌研究」1月号, 石川美南選) ⇒ 選者の石川さんは、「許さなくていい」と評している。歌った大森さんは、つよい厳しい女性だと思った。

 追い越してきて響くなりコツコツと地を叩きゆく白杖の音(丸山美枝子「晶」第110号 2020.6, 今井恵子選⇒ 白杖だから追い越していたのは、障害者(目が不自由)のひとだろうか。その歩く速度はとても早いのだろう。こういう歌もあるのだ。

 左脚(ひだりあし)つねによろめく。弱いんだなあ昔から左よわ虫!(岡井 隆「唄とノルマ」「未来」3月号、内山晶太選 ⇒選者の内山さんが「岡井作品の自身への叱咤は、いずれも強く印象に残った。」とコメントしている。岡井さんは昨年7月に逝去された。身体が弱っていても歌を書いていた。このような歌は詠めないだろう。選ぶ人も岡井さんをよくご存じだから選んだに違いない。

 「自粛」から「要請」に変わる微妙さは日本文化の「間」を見るようだ(佐伯裕子「短歌研究」6月号、楠田立身選⇒ コロナウイル感染拡大の中で、こいう見立てというか歌が可能なんかと感じた。

 七十三年蔵(しま)はれしへその緒とわれ対面すただにかそけく(小池 光「近づく夏」「短歌研究」7月号、高木佳子選、⇒小池光さんという方は73歳らしい。私と同年代だ。「ただにかそけく」とはどんな感じなのだろうか。こういう歌が好きだ。

 土曜日の観光会社の駐車場100台のバス駐車したまま(末松博明、「朝日歌壇」5月3日、高野公彦選⇒ 高野さんは「朝日歌壇」の選者なのでお名前は存じている。コロナ禍で上のような風景は良く見る。でも末松さんのようには詠めない。散歩途中にクレーン車のレンタル会社の駐場がある。新型コロナで緊急事態宣言がでたあたお「働く車」が働けないでじっとしている風景に胸をうたれたことを思いだした。

 紙とペンとあればできるという短歌(うた)も自宅浸水のひとからは来ず(米川千嘉子、「短歌研究」1月号、浜名理香選⇒日常に気がついたことを詠んでいる。)

 田の中に小さき前方後円墳ありしふるさと夏くれば思(も)ふ(小池光「短歌研究」7月号、日高堯子選⇒小池さんは、私と同年代でかつ田舎で育った人のようだ。小池さんの歌をもっと読んでみたい。)

 コロナ歌いまさかりなり短歌といふものの性にてわたしも詠ふ(寺松滋文「熾」8月号、藤島秀則憲選⇒ 簡単そうにみえてなかなかこうは詠めない。)

 三回忌すぎてひとりの飲食にいつしかわがものとなる夫の椀(馬場あき子「歌壇」1月号、吉川宏志選⇒馬場さんは有名なので私も存じあげている。かつ、多分川崎市麻生区に住んでいる。九〇歳を超えてお元気で歌を詠んで過ごしている。やはり、歌は精神を強くするのだろう。)

<コメント>歌の雑誌は一度も買ったことがなかった。巻末をみると、いろいろな歌の会派の広告がでていた。日本の短歌人口はどれくらいいるのだろうか。


『せりなずなすずなすずしろななくさやななじゅうしまでいきにけるかも』

 明日は私の七四回目の誕生日である。これは「月並み歌」であるが詠んでみた。