TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「大人にはわからない日本文学史」(高橋源一郎)を読み継いで―「はっぱふみふみ散歩した」

 「コロナ禍ではっぱふみふみ歩むなり巨泉はとうくなりにけるかも」

 本日も午後から散策に行ってきた。そのあと、「大人にはわからない日本文学史」(高橋源一郎)を読み継いだ。<五日目「日本文学戦争」戦後秘話>の後半で、高橋さんは、前田司郎さんの「グレート生活アドベンチャー」の主人公(働く意思をもたないニート青年)と石川啄木の「ROMAJI NIKKI」の予(つまり啄木)を比較して、その相似を言っています。
 <『グレート生活アドベンチャー』の「僕」も、「ROMAJI NIKKI」の「予」も、同じように貧しく、同じように苦しみもがいています。ただ違いがあるとするならば、啄木の「予」は、生まれたばかりの、「武器」としての近代文学のことばを自ら手でつかみ、その深い闇と対決しようとする意志も気力も持っていました。それに対して、百年後の「僕」は、そんな意志も気力もありません。いや、そのような「武器」に対する、理論的でない、無意識の、感覚的な反発さえ抱いているのです。> つまり、「僕」はまた「予」とは違った、ことばをみつけようともがいているといえるのです。


 「六日目 小説のOSを更新する日」では、こんなふうに始まります。

<最近、1880年代に成立した日本の近代小説は,、二十世紀の末、具体的にいうと、1990年の半ばあたりで、「OS」を交換したのではないか、というようなことをいいはじめています。>
 高橋さんは、こういいます。「(80年代の作家たちは―村上春樹でも島田雅彦でも田中康夫でも―・・・先行する近代文学を統括してきたOSを使っているのです。それは、いわば、「私」という「OS」です。>
 ところが「前世紀の末にデビューした平野啓一郎の小説を読んでいると、わたしが、もしくは読者が、一番感じるのは、そこには「私」がいないということです」なのだ、そうだ。平野啓一郎は、京大在学中に芥川賞をとってデビューした小説家と知っている。私は何にも読んだことがないのだが・・・・・。この章で、高橋さんは、綿矢りささん、平野啓一郎さんの頃から、小説を書く「OS」が変わってきていることを言っている。
 以上のように解説してもらうと、綿矢りささん、平野啓一郎さんの「小説」を読んでみたくなる。高橋源一郎さんはなかなかよい大学の先生だったのだろう。

はっぱふみふみ

 「みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ」
 (1969年、昭和44年 大橋巨泉 CM短歌)
 これは、パイロット万年筆のコマーシャルだった。昭和44年といえば、私が大学3年くらいだった。テレビはみなかったが、この言葉はよく覚えている。本日、落葉を踏みながら歩いていたら、突如として、「はっぱふみふみ」が浮かんできた。そこで一首。
 「コロナ禍ではっぱふみふみ歩むなり巨泉はとうくなりにけるかも」