TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

短歌を読む(詠む)のは楽しくも苦しくもある

 「コロナ禍をきょうもあしたも歩くなり歩くは少しある苦に似たり」
 

 唯一の趣味の合気道の稽古ができないので身体管理のためひたすら毎日歩いて居る。本日は少し足を延ばして郊外の大型書店に立ち寄った。そこで、穂村 弘さんの『短歌の友人』(河出書房新社)を立ち読みしてきた。穂村さんは、他にも『短歌入門』とか短歌の啓蒙書をたくさん出しているのだ。この前、穂村さんが新聞にでていたのでこんな「歌もどき」を作ってみた。

 「穂村さん今ごろからも良いですかななじゅうさんの短歌(うた)の始まり」

 先日、雑誌「歌壇」で歌人の小池光さんの歌を読んで、同年代の歌人と知って親しみをもった。調べてみたら小池さんも有名な歌人なのだ。東北大理学部物理の修士をでて高校の理科の教師の傍ら歌を作っていた。いまは東北文学館の館長だ。

 さて、昨日の朝日新聞朝刊「喪のたび」という家庭欄に「歌人・細胞生物学者 永田和宏さん」が大きく紹介されていた。河合真美江さんという記者が、永田さんのご自宅を訪問してまとめた記事のようだ。
 10年前の2010年8月11日に亡くなった歌人河野裕子さんのことが痛切に語られていた。「私の人生は河野裕子に出会ったことがすべてでした。本当に幸せな人生だった」と記事の最後は結ばれていた。

 「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」
 「書くことでかろうじて乗り越えてきたのだろうきみの死なによりも我が寂しさを」

 壮絶な相聞歌である。なんという出会いがあったのだろう。このような夫婦のあり方に触れると、私は自らが恥ずかしくなり、妻の顔をまともに見られない。

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コロナ禍で健康維持に歩けと言われ只管(ひたすら)歩くある苦に似たり