TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

強制不妊 3度目の「違憲」-「家族構成の自由侵害」請求は棄却

 

 ちちとなるゆめ奪われしゆうせいほごほうなにおか言わん

 

 旧優性保護法の下で不妊手術を強制されたのは違法だとして、札幌市に住む男性、小島さん(70歳)が国に1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が、1月15日に札幌地裁であった。広瀬孝裁判長は、「家族構成について意思決定の自由を侵害した」などとして、旧法律が憲法24条に反するとの初判断を示した。しかし、手術から20年の除斥期間の経過を理由に、原告の請求を棄却した。除斥期間の起算点を、小島さんが手術を受けた1960年頃とし、20年が経過しており損害賠償請求権が消滅したとした。一方、2019年4月に成立した被害者に一時金を支給する法律について「制定までに何の補償もなく、遅きに失したのではないか」と言及した。
 原告の小島さんは、昭和16年生まれとのことで私より6歳年長でしかない。他人こととは思えない。記憶と記録のために朝日新聞の記事(1月16日付)より概要をまとめた。
 ■旧優性保護法ってなに■(概要紹介)
「旧優生保護法」は、終戦後まもない昭和23年に施行された。当時は戦地からの大量の引き揚げ者や出産ブームによる人口の急増が大きな社会問題となっていた。戦後復興のためには、人口の増加を抑えるとともに優秀な人材が必要だとして、法律では人工妊娠中絶に加えて、本人の同意がなくても精神障害や知的障害などを理由に不妊手術を強制することが出来るとした。当時は親の障害や疾患がそのまま子どもに遺伝すると考えられていたことが背景にあり、法律には「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」と明記された。さらに国は、こうした手術を推進するため自治体に通知を出し、手術を拒否した場合、身体的に拘束したり麻酔などを使ったりするほか、偽って手術することも認めていた。
 国の統計によると強制的な不妊手術は、最も多かった昭和30年ごろには、年間1200人あまりに行われていた。法律の施行からおよそ半世紀たった平成8年、国内外からの批判の高まりを受けてようやく法律が改正されましたが、この間、強制的な不妊手術は1万6500人に行われ、本人が同意したケースを含めると不妊手術を受けた人はあわせて2万5000人にのぼった。法律が改正されたあと、国連人権規約委員会などの国際機関が、政府に対し、被害を補償するための法的措置をとるよう繰り返し勧告した。しかし国は、不妊手術は法律に基づいて合法的に行われていたと主張し、一貫して謝罪や補償には応じてなかった。4年前には、日弁連=日本弁護士連合会が自らの意思で出産や子育てを決めるという、憲法で保障された権利を侵害していたとして、国に謝罪や補償などを速やかに実施するよう求める意見書を出してた。
 救済に向けて大きく動き出したきっかけとなったのが3年前、平成30年1月でした。優生保護法のもとで不妊手術を受けさせられた宮城県の60代の女性が子どもを生み育てる権利を奪われたとして、国に損害賠償を求める初めての裁判を起こしたのです。その後、裁判を起こす動きが広がり、原告側の弁護団によりますと、これまでに国に賠償を求める訴えは全国の9か所の地方裁判所に起こされています。こうした動きを受けて政治的な救済に向けた機運が高まります。超党派議員連盟が立ち上がったほか、自民・公明両党の作業チームも設けられ、救済に向けた議論が急速に進みました。さらに、この救済策に当事者の声を反映させようと「被害者の会」が設立され、当事者やその家族が団結して声をあげました。そして、おととし4月おわびや、一時金として一律320万円を支払うことなどを盛り込んだ救済法が成立しました。厚生労働省によると、これまでに少なくとも1018件の申請があり、先月末の時点で833件の支給が認められたということです。救済法では国が同じ事態を繰り返さないよう旧優生保護法を制定したいきさつなどを調査することも定められていて、去年6月から衆参両院の厚生労働委員会が調査を開始し、3年程度かけて報告書をまとめることになりました。
一方、一連の裁判ではおととし5月に初めてとなる判決が仙台地方裁判所で言い渡されました。決では強制的な不妊手術を認めていた旧優生保護法そのものが憲法に違反していたと判断されたものの、国への賠償請求は退けられた。その後、東京と大阪でも判決が言い渡されたが、いずれも国の賠償責任は認められなかった。