TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『風の又三郎』(宮沢賢治)と『風の又三郎』(高橋源一郎)を読んだ!

 宮沢賢治の『風の又三郎』は童話というよりも田舎の小学校のお話だ。舞台は私の育った群馬県多野郡入野村ともそんない変わっていないと思う。

<九月一日

 どっどど どどうど どどうど どどう、
 青いくるみも吹きとばせ
 すっぱいくゎりんもふきとばせ
 どっどど どどうど どどうど どどう

 谷川の岸に小さな小学校がありました。
 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで一年から六年までみんなありま
 した。>

 こう始まります。あるとき、村の小学校に、ひとりの転校生がはいってきます。お父さんが、モリブデン(鉱物)の発掘をするので一緒にやってきた高田三郎という子です。この子が風の又三郎です。又三郎はほんの数週間いただけで、また居なくなってしまうのです。お話そのものは、そんなに面白いというものではない。

 一方、高橋源一郎の『風の又三郎』の舞台は、新宿らしいホストクラブのホストたちのお話なのです。なんで、これが「風の又三郎」なのか訳がわからないのです。

<男は道路に立って、店の看板を読んだ。
 「愛の園」
 不吉ななにかが感じられた。だが、いつものことだった。男はあたりの様子を注意深くうかがってみた。
 店のドアの中からも、新宿全体からも、その不吉ななにかはかんじられた、口の中が苦かった。まずいコーヒーを飲んだ後のような気分だった。>

 冒頭はこのようにはじまる。複数のホストたちの他愛のない会話が展開される。

 <ヒロシは、あの男のことを考えると、胸の中が温かくなるような気がした。タナカも同じだった。

コンドウは・・・・まあ、だいたい同じだった。そして、あおの男、突然現れ、

いきなり店のNo.1ホストになった「謎の男」と、「まんこ」や「ちんこ」について徹底的に語り合ってみたいと思った。あの男なら、「まんこ」や「ちんこ」というものが、ほんとうはなになのか、自分よりしっているかもしれないと思った。>

 高橋さんの「風の又三郎」は、「まんこ」と「ちんこ」とはなんなのかを真剣に議論しているお話なのだ。といっても、何をいいたいのかは訳がわからないのだな。おそらく、この本は全部を読んでみると何かがわかるのかもしれない。高橋さんは、「ポストモダン」の作家なのだそうだが、「ポストモダン」って何なのだ。

 さて、今年になって、元旦と三日に缶ビール飲んだだけで、お酒を呑んでいない。飲んでいないので夕食後に本が読める。