TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

私の「医人」たちの肖像- (136) 左合治彦さんと双胎間輸血症候群に対する「内視鏡的胎盤吻合術」 ~2007年1月16日(火)

(136)左合治彦さんと双胎間輸血症候群に対する「内視鏡胎盤吻合術」~2007年1月16日(火)

 

 もうすぐ私たちの初孫のAちゃんの14歳の誕生日がやってくる。2007年3月14日の早朝、私の満60歳の年に初孫のAちゃんがこの世に生まれてきた。
■長女が双児を妊娠■
●2006年11月:
 
姉妹のなかで遅く結婚した長女Nの妊娠がわかったのは、2006年秋のことだった。私たちは初孫の誕生を心待ちにしていた。そのころ住んでいた新宿区の隣の中野にある産科を受診していた長女が、「双子らしい」と主治医から告げられた時は、妹たちが手伝って育てるよと言い嬉しいニュースだった。双子の出産なので大きな病院にかかった方が良いといわれ、距離が近い東京女子医大産婦人科(松田義雄教授)を受診した。多分、2006年12月中頃であった。東京女子医大には仕事で屡々いっていたので、受付で待ち合わせて一緒にいった。ところが、症状からみて「双胎間輸血症候群」の疑いがあるので、これに対処するには専門医のほうがよいだろうとなった。松田医師が診察室から東京世田谷の成育医療センターの左合治彦先生に電話連絡し、早いほうがよいだろうと、12月25日の受診予約をとってくれた。迅速な対応をして頂けたのも私の仕事柄が役に立ったのかもしれない。
■「双胎間輸血症候群」の手術療法■
2007年1月16日(火):
 
双胎間輸血症候群に対しては、その頃、内視鏡下のレーザー手術が緒についていた。先端医療なので、その手術ができるのは成育医療センターの他、浜松の聖隷三方原病院と何処やら日本でも3~4施設しかないとのことだった。この情報は専門雑誌「臨床婦人科産科」担当のMN君に聞いて知った。12月25日の受診で、やはり双胎間輸血症候群の診断が確定し、自宅療養しながら経過観察となった。
 年末年始は無事に経過し、私たちは1月3~5日まで京都に旅し、「わら天神」等で安産祈願をしてきた。しかし、1月11日に、切迫流産の危惧から成育医療センターに入院となった。入院しての経過観察からこのまま妊娠を続けるのは難しいとなり、内視鏡下レーザー手術を1月16日(火)に、佐合先生に施行していただいた。
 施行前の説明では、双胎児が二人とも助かるのは難しい。一人のみが助かる確率は50%くらい。最悪の場合には双胎児とも助からないとの説明であった。手術は無事に完了した。長女(母体)も胎児も大丈夫であった。しかし、たしか24時間後に小さかった方の胎児の心音が消えた。事前の診断確率通り一人のみが助かったのだ。その後、入院継続して経過観察を行った。症状が落ち着いてきたので、2月17日(妊娠24週と4日)で退院して自宅で療養を続けた。分娩予定は4月末か5月初めであった。その後は、外来受診をしながら経過観察をしていたが、3月11日に再び切迫流産にて入院となった。少しでも長く胎内での妊娠継続が望ましかったが、3月14日(27週と1日)で分娩となった。分娩後の回復は順調で、3月20日に母親は退院となった。
 しかし、生まれた赤ちゃんは保育器に繋がれたま、成育医療センターで数カ月の間の入院を余儀なくされた。体重は1500キロくらいの未熟児であった。長女は私どもの実家に戻った。母乳を絞り医療センターへ長女を乗せて、私が運転して車で届けた。1ミリグラムの母乳を飲むことから始め、赤ちゃんは健気に育っていった。
内視鏡的レーザー胎盤吻合術とは■
 双胎間輸血症候群とは、1つの胎盤を共有している一卵性双生児の胎児において、胎盤内で2児の血管がつながり(これを血管吻合という)、この吻合血管によって双生児間に慢性的な血流量の不均衡が生じる。つまり、一方の胎児からもう一方の胎児に血液が片寄って流れてしまうので、「双胎間輸血症候群」の名称となったようだ。血流量が多い胎児では、高血圧や多尿、羊水過多、心不全、胎児水腫が生じて、死亡するリスクが高くなる。一方、血流量が少ない胎児では、低血圧、乏尿、羊水過小、胎児発育不全が生じて、こちらの胎児でも最終的には死亡リスクが上昇する。
 この双胎間輸血症候群に対する新たな治療法として、2002年から国内で実施され始めたのが、「内視鏡胎盤吻合術」である。これは、内視鏡を用いて、吻合血管をレーザーで凝固・遮断する手術である。麻酔をかけて母体のお腹に胎児鏡を刺して子宮内に挿入し、吻合血管にレーザーを照射する。吻合血管の数は、個人差があるものの、平均すると5~10本程度、治療時間は一時間程度とのことだ。
■助かる可能性は従来の治療法6割程度から約9割に上昇■
 内視鏡的レーザー胎盤吻合術を施行した、2002~2006年12月までの国内4施設(対象181例)の結果では、少なくとも1児が助かる可能性は9割と、従来の治療法による成績を大きく上回っている。一方、重症の脳神経障害の発症は5%程度だった。先進医療として、この治療法が認められたのは、2005年8月からだ。2011年4月現在で、この治療を実施しているのは、全国で7施設(国立成育医療センター、聖隷浜松病院社会保険徳山中央病院、国立長良医療センター大阪府立母子保健総合医療センター、宮城県立こども病院、北海道大学附属病院)であり、全施設の治療件数は年に140~150程度とのことだ。(上記は成育医療センターの林 聡医師の解説からまとめた)
■医療の進歩に感謝■
 標記の記事を今回まとめるにあたり調べると、双胎間輸血症候群に対する「内視鏡胎盤吻合術」は、まだまだ先進医療技術であることわかった。2007年の時点で、成育医療センターの左合治彦先生は救いの神のように思ったことを、鮮明に覚えている。今回、インターネットで調べると白髪が見事になられていた。今は成育医療センター副院長の職にあるようだ。成育医療センターの「内視鏡胎盤吻合術」は、林 聡医長が中心になって進めていると知った。それにしても、このような先進医療の恩恵に預かって初孫のAちゃんに会うことのできた幸せに感謝するのみである。
 
このシリーズの第15回でThomas Kerenyiによる「選択的中絶手術」に触れた。1980年代の初めに米国で始まった「選択的手術」こそが、内視鏡による胎児手術の先駆けだったのであろう。
(2021.1.21)
(私の「医人」たちの肖像―〔136〕左合治彦さんと双胎間輸血症候群に対する「内視鏡胎盤吻合術」~2007年1月16日)