TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

二つの『春と修羅』を読んだ!

 「春と修羅」(宮澤賢治

 序

 わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い証明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんないっしょに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (ひかりはたもち その電燈は失はれ)

 

 「春と修羅」の冒頭を紹介した。これは、筑摩書房版「宮澤賢治全集」(第2巻)収載から引いた。読んでみた。宮澤賢治の生前に刊行されたのは、詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』(1924年)のみであったという。筑摩書房版「宮澤賢治全集」(第3巻には、「春と修羅・第二集」、が(第3巻)には、「春と修羅・第三集」が収載されている。つまり、「春と修羅」の第二集、第三集は、賢治の死後に編纂されて出版されたということだ。
 宮沢賢治は、1896(明治29年)年に岩手県花巻生まれで、肺結核で1933(大正10年)に亡くなっている。晩年の5年間は病床にあって、作品の創作や改稿を行っていた。37歳という短い一生だったのだ。

 次に、「春と修羅」(高橋源一郎)を読んだ。ポストモダンだって、どういう意図で、高橋さんは「春と修羅」を書いたのだろう。高橋さんの「春と修羅」は、認知症になった母親と父親をめぐる子どもたちも含めた物語なのである。今時、珍しい話ではないのだろう。ひとのさいごの、いわば「修羅場」のようなお話なのである。なんだか訳がわからない話なのである。取り敢えず読んでみた、