TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「アナーキー・イン・ザ・J」(高橋源一郎『戦後文学盛衰史-戦後文学篇 今夜はひとりぼっちかい?』を読んでいる)

 高橋源一郎『戦後文学盛衰史-戦後文学篇 今夜はひとりぼっちかい?』を読み続けている。この本は、文学史でもなんでもない。高橋さんの読書ノートなのである。読みながら、(学生に向けて)話したりして、また時には、ツイッターをネットで見ながら読みながら書きついでいるのである。

 出だしにはこう書いてある。
 <中森明夫の「アナーキー・イン・ザ・JP」を読んだ。面白かった。で、ゼミの学生たち(ほぼ全員十九歳)に、読ませてみた。そしたら、すっごく面白い、ってさ。>
 私はもちろん、こういう本を読んでいない。でも今回読んでみたくなった。主人公のシンジ(十七歳=オレ)は、「パンク」に遭遇して」いかれている少年だなんだという。「パンク」はもちろん、セックス・ピストルズなんて「パンカー」(パンクの歌い手をパンカーというのか?)も知らないのだが、興味を持った。
 主人公の「オレ」は、「パンク」のことば(アナーキーなのはオレ一人だ。他の連中は軟弱野郎さ)から、「むせい・ふしゅぎ【無政府主義】」に興味をいだく。これっってなんだ。このあと、六〇年安保の島成郎の『ぶんと私史』と高見順の『いやな感じ』のことが出てくる。中森明夫、島成郎、高見順は孫、父、祖父と三〇年くらいの時代を挟んで続いているのである。最後はこのような件りで終わる。

 <娘が死んだという手紙を送ってきた妻への叫びの後、「俺」は、中国人の首を軍刀で切りつける。切り落とすことができず、もう一度軍刀を振り上げたその瞬間、恍惚とともに射精した「俺」は、心の中でこう絶叫するのである。

「(いやな感じ!)」
「アナ―キー・イン・ザ・JP」の「オレ」なら、この叫びは、シド・ヴァイシャスのそれと同じだ、」というだろう。高見順の「俺」こそ、真のパンクだと。・・>

 最後は、こういうふうに終わっている。
 「おれは思う。多くのものが変わる。徹底的に変わる。だが、同時に、少しも変わらぬものだって存在するのだ。ところで、大杉栄は一八八五年生まれ、高見順の父親の世代にあたるのだ。」

 ここで、高橋さんが言いたかったのは、「パンク」だ、「アナーキー」だといいながら、結局は、高見順の『やな感じ』の『俺』にはかなわないのだ・・・と。高見順というと詩集『死の淵より』を持っている。『やな感じ』を読んでみたい。

 ■見直されるアナキズム
 上述のように、高橋さんの本で「アナーキズム」の言葉にふれたのと、伊藤野枝をモデルとした、村山由佳さんの小説や、相馬黒光の本に出てくるエロシェンコのことなど考えていたら、本日(2021年2月1日)の朝日新聞朝刊「文化の扉」に標題の記事があった。
 アナーキズムが見直されているのだという。本当だろうか。藤生京子さんという記者が纏めている。栗原康『アナキズム』(岩波新書)、浅羽通明アナーキズム』(ちくま新書)、森元斎『アナキズム入門』(ちくま新書)を読んで記事をまとめているようだ。
 都内であアナーキズムの情報ショップがあるのだという。「風通しをよくしたい。自由を愛するひとたち、権威を嫌うひとたちが繋がる場をめざしたい」と、成田圭祐さん(44歳)がやっているんだという。記憶と記録のために書いた。