TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『朝日歌檀』を今日も読む

 二月最初の日曜になった。「朝日歌檀」が載っている。今日も楽しみに読んだ。
 俳句と短歌の中央にいつもある「囲み欄」に岸本尚毅さんという俳人の方が、「うたをよむ 泉鏡花の俳句」というコラムエッセイを書いていた。泉鏡花は俳句も作っていたのだという。
 <明治の文豪は俳句と縁が深い。尾崎紅葉は俳句新派の秋声会の幹部。夏目漱石正岡子規の句友。幸田露伴の最後の著作は芭蕉の評釈だった。泉鏡花もまた個性的な俳句作品を残している。
 わが恋は人とる沼の花菖蒲(あやめ)
 沼の精のような花を恋うのだが、この句は『沼夫人』を踏まえた句だと秋山稔氏は指摘する(『泉鏡花俳句集』)。この小説では恋人の骨を沼に返した男が女の霊と再会し、沼に引き込まれそうになる。・・・>

 泉鏡花全集には俳句もはいっているのだろうか? 三十巻全集を持っているので調べてみよう。

 さて、いつものように朝日歌壇から気に入った歌を探してみよう。

 まゆのごとみどりご抱き若き夫婦クリスマスの横断歩道(宇佐市 長野裕子)←馬場あき子選:<コメント>冒頭の「まゆのごと」の初句がよくわかる。若い夫婦にとっては、生まれて間もない赤ちゃんは触るのも必死だ。まるで腫れ物に触るような感じがでている。

 受け入れ先の見つからぬらしき救急車二十分間止まり続けて(東久留米市 関沢由紀子)←佐佐木幸綱選:<コメント>この歌は偶然に見かけた光景を読んだのだろうが、よくあることだ。実際に、病院側のベッドの空きと専門医がいるかいないかで、直ぐには受け入れて貰えないのが常だ。新型コロナウイルスの場合にはもっと深刻であったのだろう。

 今よりもずっとずっと美味しかった六等分の小さなケーキ(山口市 稲田和子)←高野公彦選:<コメント>作者の稲田さんも選者の高野さんも昭和時代のひとだろう。戦後30年~40年代ころまでは、まだケーキも珍しかった。グルメなどという言葉はなかった。両親子ども4人で、余り大きくはない一つのケーキを六等分して食べたのであろう。

 消えたのは配った人とあのマスクいつまでたっても消えないウイルス(岡山市 伊藤次郎)
 六人の任命拒否の説明を国民はまだ聞いていません(京都市 中尾素子)←永田和宏

選:<コメント> 永田さんの選から二首を選んだ。伊藤さんの歌は、安倍のマスクのことだろう。中尾さんは、「学術会議の任命」のことを詠んでいる。でもこれらの歌は私にははつまらなく思える。

 帰省中家族みんながゆるキャラのようにのんびり優しく見える(富山市 松田わこ)←馬場あき子、高野公彦共選、二人の選者が選んでいる。「帰省がかなった大学生の初感想」と馬場さんがコメントしている。こういう歌が感動を呼ぶのかな?、と私は共感しない。

 三が日レタス植えおりコロナ禍に母国へ帰れぬ実習生(観音時市 篠原俊則)← 馬場あき子選、 佐佐木幸綱選:<コメント> こちらは、アジアからの農業実習生がコロナで母国に帰れない現実を詠んだものだ。これは世相と現実を示している。

 今回の作品の印象は、「私」の詩としての歌というよりも、世相を切り取る歌が多いようだ。救急車のこと、学術会議のこと、安倍のマスクのこと、これらは詠んだ作者にとって「必須の心の思い」だったのだろうか? 「学術会議」任命にまつわる事件は、大事件ではあるのだが、市井に生きる庶民にとってはどうでもいいことだ。救急車の歌も事実をみただけで、「それでなんなの」という気がしないでもない。
 ということで、私の一押しは、山口市の稲田さんにする。「私」の心の詩だと思うからである。

 「今よりもずっとずっと美味しかった六等分の小さなケーキ(山口市 稲田和子)」