TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『老いへの挑戦』(森村誠一さん)を借りてきて少し読んでの感想

 『老いる意味』という本を森村誠一さんが出した。中公新書の新刊だ。森村さんは老人性鬱病に苦しんでいたらしい。森村さんは老人性鬱病を告白し、それを壮絶な闘いで克服して本を書いたものらしい。森村さんは私より14歳くらいうえだか既に88歳を越えているのだろう。稲城図書館で検索したらまだ図書館には在庫が無いと分かった。その代わり、標記の『老いへの挑戦』という去年(2020年)2月に出た本があり借りてきた。

<人生は、1.仕込みの期間(親の庇護の下、学生時代)、2.現役(社会に参加して、それぞれの帰任、指名、義務を負う。)、3.リタイア(なにをするにも自由、しなくても自由)ーーに三区分される。だが、現役として知識、経験を積んだ千軍万場の強者が組織の都合のために肩をたたかれて、自由の海への解放という形式で、能力の死刑にあう。>
 はじめにで、上のように書いている森村さんは、「作家は恵まれていて、作家には定年がない。デビュー以後は常に現役であらねばならない。・・・・・・」と続けていた。この、森村さんが、老年性の鬱病にかかり、おそらく書けなくなったのであろう。そして、一年余りの闘病の末に、『老いる意味』を書いたものと推測される。あるいは、『老いへの挑戦』は森村さんの鬱病のときに出た本かも知れない。というのは、この本は書下ろしではなく、森村さんが55年年に渡って書いてきた本の中から、「老いに関わる文章」を抜き出して纏めたものだ。おそらく、編集者(駿企画の鈴木五郎さん)が纏めたものであろう。したがって、エッセイというよりは、「アフォリズム箴言)」のようなものとして読める。

<歳をとったら、崩さないことが大事である。若いときは崩して着ることが艶になったり粋になったりするものだが、歳をとってからの崩した服装は、周囲に老醜を感じさせてしまう。(『老いの希望論』)
 <会社というものは例外なくエゴイスティックであり、嫉妬深い。社員が会社以外の場所に生活の力点をかけることを体質的に好まない。(6・組織のなかでの「自分の居場所」の見つけ方>

 森村誠一さんの本は、『悪魔の飽食』」を読んだことがある。いまも書棚に残っている。それから、森内さんは登山を好む人で、登山家が友人を事故にみせて殺してしまう話を面白く読んだ(タイトルはなんだったろうか。「高層の死角?」)。そのほか、『サラリーマン悪徳セミナー』という本が興味深かった。この本は、サラリーマンは、会社に忠誠を装いながら、会社のお金で「英会話」くらいは身につけてしまうくらいの要領よさが望ましいという、エッセイのような小説だったと思う。サラリーマン時代の、強面の上司は定年後三年くらいで幽冥境を異にした。一緒に働いた、同世代の友人も退職してまもなく60歳そこそこで亡くなったものや、定年を待たずして病に倒れたものもかなりいる。一方、私はこうして「老いの意味」を問いながら本を読んいる。これも「老いへの挑戦」であろう。