TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

「新カラマーゾフの兄弟上」(亀山郁夫作)を読んでいる

「新カラマーゾフの兄弟上(亀山郁夫)、「カラマーゾフの兄弟1(ドストエフスキー)、「日本文学盛衰史」「私生活」(高橋源一郎)の4冊を併行して読んでいる。めちゃくちゃな読み方だが、どれも面白い。

 亀山さんの「ドストエフスキー)は、舞台が1995年の日本なのだ。1995年は大変な年だった。1月にあの阪神淡路大震災が起きて、その2か月後の3月にはオウムによる地下鉄サリン事件が起きたのだった。大震災のおきた翌日には、脳CI研究会がたしか東京・虎の門であり出席した。地下鉄サリン事件の日には同時刻に小田急線から本郷に向けて出勤途中だった。私の生きた同時代なのだ。
 ドストエフスキーの「カラマーゾフ」は、第2編場違いな会合、まで読んできた。亀山さんが読み易い日本語にしてくれているので、わりあいと分かりやすい。
 高橋さんの「日本文学盛衰史」は、「されどわれらが日々①」を読んでいる。この辺は、島崎藤村のことを書いている。二葉亭四迷が、「原文一致体」を実践して書いた「浮雲」によって新しい日本語の文章が提出された。それを使って、田山花袋国木田独歩島崎藤村も新しい文学を創り出した。高橋さんは、田山花袋の「蒲団」のことを、面白おかしく現代の性風俗業と絡めて書いている。花袋は群馬県(そのころは栃木県)の舘林の出身ということだ。自殺した北村透谷も同じ時代の人だ。昨年読んだ、中村屋相馬黒光も同時代人で、北村透谷や明治女学校の教師だった島崎藤村が出てきたりしたのを思いだした。
 もう一つの高橋さんの「私生活」では、「百年の文章(1999年11月☓日原宿)というところを読んだ。その頃、高橋さんは原宿に住んでいたのだ。
 <文芸誌『文學会』の2000年新年号に、詩人の荒川洋治さんが「日本文学 1900~1999 一年一作百年百編」というタイトルでリストwそ掲載している。読んで字の如く、1900年(明治33年)から1999(平成11年)に至る日本文学を、一作一年(もちろん一人一作)で代表させたリストだ。これを読んでいると、文学が好きな人間なら誰だって、いやぼくならもと違うリストを作る、といいたくなるだろう。>
 これは、興味深い記事だ。私はどのくらい」よんでいるだろうか。ちなみに、高橋さんは49編だという。荒川さんの推定では、「だいたい15編くらい読んでいるのが、一般的な読者なんだという。
 このことはともかく、独歩の「武蔵野」、樋口一葉の「たけくらべ」のことも書いている。一葉の文章は、荒川さんの選んだ時代より古いのだが、一葉の文章は、素晴らしいのだという。「たけくらべ」読んだろうか。樋口一葉も、石川啄木も本郷に住んでいて、所縁の場所が記念碑として残っている、。本郷で45年も働いていてもあまり気がついていなかった。
 こんなランダム読書をしているひな祭りの本日、旧友のKKからハガキが届いた。もう一人の旧友RB君が入院したとのことだ。廃用症候群とのことだ。歩けなくなったのだろうか。もっともっと、本を読みたい。