TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

朝日歌壇を今日も読む

 石川啄木は「朝日歌壇」の選者をしていたことがある。明治44年くらいだろうか。そんなに長い期間ではない。本郷弓町の床屋の二階に間借りして朝日新聞に勤めていたころだ。後で調べてみる。

「おじいちゃんが退院できて嬉しいな一緒にたべるうなぎは美味しい」

 上の歌が、たしか今年の朝日歌壇に入選していた。ほのぼのとした家族の幸せを感じさせる歌である。作者はたぶん小学生か中学生の男の子と推察される。こんなお孫さんを持ったおじいちゃんは幸せだろう。短歌のなかに「孫うた」というのがあって、祖父母が孫をテーマにして詠むうたは随分あるらしい。ただ、人に訴えるように詠むのは難しいようだ。
 昨日はコロナ禍で疎遠になっている孫たちが凡そ2カ月振りにやってきた。みんなで鉄板焼きを囲んだ。久しぶりに義息子と缶ビールを重ねた。

「おじいちゃん家に来られて嬉しいな一緒に食べる焼肉美味しい」
 こんな歌を私の孫は詠んではくれない。12歳の誕生祝と小遣いをあわせて買ったアコースティックギターを背負ってきた。独習でなにやらギターをつま弾いている。コードを少し父親にならっただけで、自分でスマホのユ―チューブで音を聞いて真似て弾いているのだという。
 さて、本日も日曜日なので、朝日歌壇から私の秀歌を選んでみたい。

<赤ちゃんをぎゅっと抱っこしあやすごと温かいものの手ごたえが欲し(東京都 松本知子)>
<おじいちゃんは養子だったとおじいちゃんがICUに入りし夜にしる(春日井市 福島さわ香)>
<あったかくなったら帰れるとウソをつき父を施設へ送りゆきたり(盛岡市 小原哲哉)>⇒馬場あき子選: コメント:「ディスタンスに神経を使いつづけた一年が過ぎ、第一首のような生命感のある確かな手ごたえが求められる昨今だ」と馬場さんがコメントしていた。福島さんの歌に対しては、「事実への驚きと感慨に人生がある」と馬場さんはコメントしている。私も旧姓を捨てて(別に捨てたわけではないが)養子になって富永姓を26歳から名乗り既に48年が過ぎた。

<麦踏みの体験学習 小学生六十人が蟹歩きする(前橋市 荻原葉月)>
<ひとことも喋らず給食たべるんよ仕方ないねと小2が言った(西宮市 佐竹由利子)>⇒
 佐佐木幸綱選:コメント:「第一首、六十人の麦踏。じっさいを想像すると、寒い子供たちの声が聞こえてくるようだ」と佐佐木さんのコメントだ。前橋市の荻原さんは常連の入選者だ。同じ日の「朝日俳壇」をみると、「麦を踏む雪の浅間を遠く見て」が、大串章選で掲載されていた。荻原さんは、俳句もやっているんだ。それにしても、前橋では今も「麦踏み」をやっているのだろうか。私も上州高崎の在で育ったので、子どもの頃に「麦踏み」の経験がある。小麦苗が霜柱で浮いてしまうので、足で踏んで浮いた土を固めるのである。これを「麦踏み」という。

<フクシマを捨てて避難の転々と中野、杉並そして国立(国宇市 半杭蛍子)>
<コロナ禍という休戦の最中にも武器を売る国武器を買う国(村上市 鈴木正芳)>
<我が役目終わりて路に捨て置かるかの人護り耐えたマスクが(柏市 加藤安博)>
⇒高野公彦選: コメント:フクシマつまり東日本大震災から10年が経過した。フクシマを詠った歌は多い。かつ他をその大きさと重さで圧倒する。国立市の半杭さんは、フクシマから都心に近い、杉並、国立に来ている。実は国立は土地もマンションも高くて簡単には住めない街なのだが・・・。

<施設が嫌なんではなくて施設にいる自分が嫌なのだろう母は(千葉市 高橋好美)>
<厄除けの呪文のように唱えてるファイザーモデルナアストラゼネカ大阪市 鹿戸仁美)> ⇒ 永田和宏選: コメント:大阪市の鹿戸さんの歌は、新型コロナウイルスワクチンのメーカーを詠んだものだ。こういう着眼があるのだと知った。

 以上を読んで、今週の私の一押しは下記の歌にした。身につまされる歌である。
あったかくなったら帰れるとウソをつき父を施設へ送りゆきたり盛岡市 小原哲哉)>