TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

朝日歌壇を今日も読む

 今年は菫の花が目立つ。菫のあたり年というのがあるのだろうか。薄紫が美しいのである。

 「山路きて何やらゆかし菫草」

 の句が浮かんできた。これは好きな句なので調べてみたら、やはり芭蕉の作だという。先日(3月26日)は、皇居における「歌会始」の様子をNHKテレビで見た。「召人」となった加賀乙彦さんの歌を知った。本郷の樟の大木のことを詠んでいた。私もよく知っている鳳鳴ビルの隣の楠木亭の樟のことだろう。そこから、あるいて1分で啄木のいた「床屋」である。樋口一葉の菊坂までも歩いて2分くらいだろう。本郷は歴史と文学の街である。

 さて、今日も朝日歌壇を読んだ。歌についてはその難しさをひしひしと感じる。1300年もこの日本語という言葉はよくも「かくも精妙な短詩」を育んできたのだと感心する。

<君と観た「ドクトル・ジバゴ」のストーリー覚えていない君が居たから(海老名市 間藤義教)⇒永田和宏潜:コメント: 作者は年配の方だろう。ドクトル・ジバゴは70歳の爺の青春の書だ。「ララのテーマ」が有名な音楽だったね。「ドクトル・ジバゴ」は本を持っている。作者のパステルナークは、実は不倫に生きて二つの家庭を持っていた。

<おじいちゃんち貧乏なのと訊く孫にそうだと言えば落胆の顔(盛岡市 船山治男)>⇒ 馬場あき子選: コメント: こどもって実は残酷なんだよね。でも、素直に育つ孫をもっておじいちゃんは貧乏でも幸せなんだと思う。

あの二月不意に終はりし学校の記憶抱きて教室へ行く(久留米市 塚本恭子)>⇒佐佐木幸綱選: コメント: 「あのとし」とは、緊急事態宣言が1月7日に出た去年(2020年)のことだろう。卒業式も入学式もできなかった。節目の行事というのはあった方がよい。今から50年前の、1971年3月に、大学紛争(闘争といっていた)のために卒業式がなかった。卒業証書は、学部の事務の窓口でいただいた。いまでに、「大学を卒業した」という意識が薄い。いまもって、本を読んで勉強をしないと落ち着かない。未卒業症候群という病気を持っているのだ。

<大空に小さな点となって啼く存在消したい雲雀が一羽(本庄市 福島光良)>⇒高野公彦選: コメント: なんという孤独な歌だろう。雲雀の姿がみえない。それを「存在を消したい」と詠むのは作者の淋しい気持ちを想うのは読みすぎか?

 

 

 今日の推薦かは、<大空に小さな点となって啼く存在消したい雲雀が一羽本庄市 福島光良)>にしたい。こんあ歌を詠みたい。