TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

短歌は生きることを強くするって本当だ!

「怖さ知る津波に襲われ残されし登美子先生の歌は語り部(津市 土屋太佳子)」
「春彼岸とみ子先生笑顔ですとみこ文庫に子供がきます(東京都 福島あき子)」

 今週の「朝日歌檀」で、高野公彦さんがとみ子先生に触れた歌を二首選んでいた   <九首目と十首目は、東日本大震災津波で亡くなった気仙沼の畠山登美子さんを悼む。詳細は三月一日の朝日新聞の記事参照。>とのコメントがついていた。
 そこで、三月一日の新聞を読み返した。記憶と記録のために概要を紹介する。

 「東日本大震災10年ーとみこ先生も波に消えた」という記事がでていた。
  「春彼岸津波寄せ来し浜に立つ我が曾祖父も波に消えたり」

 10年前に、宮城県気仙沼市からこの短歌を朝日新聞に投稿した直後、東日本大震災津波で命を落とした小学校の先生がいた。それが、畠山登美子さん(当時、50歳)だ。
 昨秋、震災の語り部が地元の中高生に語りかけた。「『とみ子先生』の一家は明治の津波で家を流されここへ移った。だけど震災でここもやられた。津波はより高く、より遠くへ逃げるしかない」
 とみ子先生のあの歌には「我が曾祖父も波に消えたり」とある。1896年の明治三陸津波のことだ。

<とみこ先生の短歌が最初に朝日歌壇に載ったのは2009年春のことだ。わずか2年の間に11首が入選した。>

 「張りつめた海鞘(ほや)は海から揚げられていぼ固くして我を威嚇す(2010年3月22日)」

 <彼女の最初と最後の入選作の選者であり、歌人の高野公彦さん(79)は言う。「いま見返すと、時を置いて襲ってくる津波への意識が垣間見える。全ての歌の力量が高く、心に残る。>

 <勤め先だった松岩小の図書室には「とみこ文庫」がある。遺族が先生の遺産から100万円を贈り、同校が児童書や図鑑など約650冊を買った。2012年11月に開設され、s修繕しながら大切に読み継がれている。・・・・子供たちへの思いは受け継がれた。先生は存命であれば今年、定年だった。>

 とみこ先生の歌を読むと、自然を畏敬しながらみる目に心の強さが窺われる。

(この記事をまとめたのは、気仙沼支局長の星乃勇介さんという記者だ。)