TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

今日も「朝日歌壇」を読む―短歌って難しいが社会詠より私を詠むのがピントくる

 先日、「朝日歌壇」から気に入った歌を「書評」に引用して勝手に「Bookプラス」に投稿した。もし、私の書評が掲載されたら、公の媒体に載るので、もしかしたら「無断引用」になってしまうのかと気づいた。というのは、「無断転載禁止」いう表示のついた短歌があったからだ。
 今日も、朝日歌壇をみたら、富山市の松田わこさんの歌が、また掲載されていた。随分むかしから、松田わこさんと松田梨子さんは小学生歌人として知られていた。私が知っているくらいだから多分もう有名人になっているにちがいない。そう思って、Googleで調べたら、姉の梨子さんのほうは大学生を超えて社会人かもしれない。二人とも「歌集」がでているようだ。そのほか、ときどき見かける十亀さんとかいう監獄から投稿している方も、「獄中歌人」として有名で、ネットに何の罪で服役していたかも載っていた。十亀さんはこの春(3月頃)に出獄して、出獄後の歌もたしか採用されていた。そのほか、「朝日俳壇」選者の長谷川櫂さんを味噌くそに批判した読むに堪えない書き込みがネットに載っていた。インターネットの世界はSNSだけでなくとも実に嫌な世の中になっている。私のこのブログ(TomyDaddy)も公開する以上は他に読んでもらうこと(読まれること)をキチンと捉えていく必要があると自覚した。ということで、今日も「朝日歌壇」から私の秀歌を捜したい。

 <反抗期の子が百人もゐるやうな風吹いています能登の早春(羽昨市 北野みや子)>⇒ 佐佐木幸綱選: 選者の佐佐木さんは、「第二首、冬の日本海を越えてきた北風の激しさ。」と選評を書いてる。これチョット甘くはないか。「反抗期の子が百人もゐるやうな」という比喩は実はピントこない。私には、「反抗期」というものがなかった。「反抗」とは、実は甘えられる親がいるということだ。「反抗期」というのが、「故のないあらあらしい態度や言動」と単純にとれているとしたらチョットあまいのではないか。

<クセのあるフライパンだけど引っ越しに誘えばさり気なくっついて来る(富山市 松田わこ)>⇒高野公彦選: この歌に選者の高野さんのコメントはない。たしかに秀逸な歌だと思う。しかし、松田さんの新鮮さはこの歌にはないと思う。歌の詠みかたが身についてしまっているんだと思う。詠めない私の嫉みではあるが・・・。

<日本語は複数形を持たざりしアベノマスクの二枚そのまま(東京都 庭野治男)>⇒永田和宏選: 安倍首相の時代に各家に二枚ずつ配られたマスクをアベノマスクという。あのマスクは私も引き出しに保管したままである。すこし小さめで使い勝手はよくないらしい。しかし、昔風のマスクで金属線が入っていいないので、家内が近く予定している頭部MRI検査の折に使えると、看護師さんから教えてもらった。庭野さんの歌は何か訴えるものがあるのか。社会詠の典型の意味しか見えないのだが・・・。

<与太小僧なりし孫なりコロナ禍で出会えぬわれを電話でいたわる(飯田市 草田礼子)>⇒ 馬場あき子選: 「第三首は面白げな孫の成長。嬉しさも格別だ。」と、選者の馬場さんのコメントだ。「与太者」という言葉は知っているが、「与太小僧」というのは余り聞かない言い方だ。孫の男の子がチョットやんちゃなのだろう。作者のおばあちゃんが好きなんだろう。

<三十五年経しチェルノブイリの映像に大観覧車錆びて残れり(豊明市 山田久子)>⇒ 佐佐木幸綱永田和宏共選だ。: これも社会詠の典型だろう。廃墟となったチェルノブイリ福島原発と重なるが、だから何だ。

<こわかったかいけつゾロリのどうくつに入ったみたいなCTけんさ(奈良市 やまぞえそうすけ)>⇒ 永田和宏、馬場あき子さん共選だ。作者は,幼い子どもだろうか。「かいけつゾロリ」ってなんだ。知らない。CTはMRIと違って、そんなに閉塞感がないから怖いはずはないと思うのだが。

 今週の秀歌は、以下の歌にする。選者は高野公彦さんだ。

患者さんの横にもぐり込みねたかった」夜勤の日々を振り返る祖母(東京都 上田結香)>⇒ 作者のお祖母ちゃんは、看護師さんだったんだろう。本当は、庶民のこのような働きに私たちは支えられてえいる。