TomyDaddyのブログ

毎日の健康管理の記録、新聞、雑誌、書籍等の読書について感想を書いていく。

『方丈記』って知ってるかい―面白いんだ!

 『方丈記』は超有名な日本の古典だ。高校生のときに古文の勉強で解説付きでよんだことが多分ある。「方丈」ってのは小さな小屋のイメージである。鴨長明ってひとが比較的に若くして隠居するため都のどこか外れに住んだんだ。そこで世の中を眺望しながら「世の中は絶えず変わっていくようだが、あんまり変わんないみたい。なべて嗚呼無常だな」ってくらいの感じの日記(エッセイ)だと理解していた。
 たしか1984年頃、「週刊医学界新聞」の記者をしていた時に、英国の科学雑誌「Nature」の東京支局が本郷にできた。その最初の支局長(っていっても一人きり)というか特派員として、Alun Anderson(アンダーソン)さんがやってきた。この人はもともとは、動物行動学の研究者で京都大学日高敏隆教室に留学していたこともあった。それで、日本語も読めて話せて、まだ30歳代後半の好青年だった。このアンダーソンが生意気にも(生意気ではないか)「方丈記」を読んでいた。彼は面白いって言っていた。外国人のアンダーソンが読んでいるのに俺が読まない手はない。本棚から講談社文庫『方丈記』(川瀬一馬 校注 現代語訳)を引っ張り出して読んだ。
 さて、昨日、高橋源一郎訳『方丈記』を稲城図書館から借りてきて読んだ。池澤夏樹編集「日本文学全集」の一つ、「枕草子酒井順子訳)」「徒然草(内田 樹訳)」と一緒に入っている。池澤さんが古典日本文学の翻訳者を選出したのだろうか? 頼む方もたのむほうだが、受ける方もうけるほうだね。選定の妙に感じいる。

方丈記 モバイル・ハウス・ダイアリーズ」
 ったく、絶妙な翻訳だね。各章(タイトル)にもカタカナ「川がそこに流れている」っていうわけだね。冒頭の翻訳はこうだ。
 <あっ。歩いていたのに、なんだか急に立ち止まって、川をみたくなった。川が流れている。そこでは、いつも変わらず、水が流れているように見える。けれども、同じ水が流れているわけではないのだ。あたりまえだけど。>

 <行く川のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。>

 下のほうが、長明の原文だけど 「4 メトロポリス」と訳している。全くポストモダンの高橋さんだからできる意訳だね。
「また、治承四年水無月のころ、にはかに都遷りはべりき。いと、思ひの外なりしことなり。おほかた、この京の始めを聞けることは、嵯峨の天皇の御時、都と定まりにける後、既に四百余歳を経たり。ことなる故なくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを世の人、安からず憂へあへる、実に理にもすぎたり。」
 高橋さんが訳すと、こうだ。
「同じ1180年。夏も盛りを過ぎたころのことだ。突然「首都移転」が発表されたのだ。これには、みんなびっくりした。だいたい、わたしたちが住んでいたキョウトは、サガ天皇の時代に首都に決まったのだ。それから400年近くたって、それが当たり前になっていた。なのに、はっきいりした説明もなくいきなり「首都を移転しますよ!」だ。それでは、だれだって不安になるし、文句のひとつもいいたくなる。」
 福原遷都は、なんと400年振りだったんだ。それは驚くよね。江戸1600年代から400年で2000年の21世紀の現代に至っていることを思うとよくわかるよね。
 「一二 閑居の気味」が、高橋さんいかかると、「12 アー・ユー・ロンサム・トゥナイト?」となってしまう。

 ま、こんなグワイで、長明さんの「方丈記」は、今から900年くらい前にかかれたエッセイなんだが、今でも十分に面白く読めるんだな。日本の文学って結構面白く読み応えがる。